[コメント] 海を飛ぶ夢(2004/スペイン)
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自分は例えば、視力を奪われたならば早急な死を選ぶだろう。全世界に「強く」生きている数多の盲人を侮辱する意図は毛頭ないが、観たいものを観、描きたいものを描く生活が失われてしまったならば、世界に自分が生きる価値は99%無くなったも同然だからだ。ラモンもそんな価値観のひとつを抱えていた。四肢の自由が失われているとは言え、彼は会話や音楽を日々楽しんでいる。それでもラモンが死を選ぶのは、その生き甲斐であるサムシングが永久に失われてしまったためだ。
この映画が薄っぺらな似非ヒューマニズム映画と一線を画するのは、「強く生きてさえいればやがて夢は叶う」といったお題目とは無縁な、しかも人間の生き方を執拗に追う描き方だ。スペインという国がカトリックの影響ぬきには語れない国家だからこそ、「死ぬ権利」の追及を大っぴらにしているこんな映画の製作には勇気が要ったことだろう。創造主から賜った命を放棄することは、キリスト者最大の罪だからだ。それゆえに、監督は「自死=罪悪」と強調する司祭を登場させ、彼に対してラモンに「やかましい」と言わせている。これは蛮勇の域だが、誉められる蛮勇だ。確かに司祭の発言には奥行きが欠けるが、イスカリオテのユダの自殺以来、キリスト教世界が100%正義の発言として肯定し続けてきた意見だ。ここで1人を完全否定しても不公平にはなるまい。
それでも、ラモンに「生きる価値」を感じさせるかもしれないふたりの女性の描写に、自分が「作品ぶち壊し」の危機感を抱いたのは確かだ。弁護士として彼に深くかかわってゆくフリアは、自ら痴呆症に陥ってゆく恐怖のなかで、ラモンへの献身を生きるよすがとする。好奇心半分でラモンのもとを訪ねるロサは、不幸な出会いをしながらも彼への恋心を募らせてゆく。彼女らの「頑張り」はラモンの心中に「俗流のコペルニクス的転換」をもたらしはしないか?…だが、それは杞憂であることがじきに判る。彼女らは大切な恋人であるがゆえに、ラモンが望むのは自分の飾らない姿を理解し、それに協力してもらうことなのだ。彼の強さは、ふたりがこの劇中でこの上なく魅力的に描かれていることで、逆説的に知れる。ラモンは有意義な死をずっと思いつづけてきたから、50代という「短い」人生を有意義に終わらせることができたのだ。
緊張感の持続する物語には、衝撃的でありながらいっそ爽快とさえ言える結末が待っていた。監督の手腕は見事としか言いようがない。若くして初老の男を演じ切ったハビエル・バルデムもさることながら、生き生きと彼の「死の天使」を演じたロラ・ドゥエニャスには演技者を極めたほとばしる魅力を感じた。彼女の愛し方は口に出さずとも大いに雄弁であった。
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