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[コメント] 酔いどれ天使(1948/日)

雑踏に流れる明るい音楽と、それを背負って歩く人間の後ろ姿の暗さが同居するシーンのアンバランスさは、社会の無情さと空虚感を表現している。そして結核貧困ヤクザという三大悪の見事なシンクロ。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







少女「理性さえしっかりしていれば結核なんてちっとも怖くないね」

眞田「結核だけじゃないよ。人間に一番必要な薬は理性なんだ!」

上記はラストの眞田と少女の会話なのだが、全編を通して結核とヤクザの共通項を列挙していった、この作品の結末である。生きていくのには金がいるから、ヤクザと付き合うなと言われて付き合い、酒を飲むなと言われて連日連夜飲んでしまう松永の体を蝕む病魔の正体は貧困であり岡田(=ヤクザ組織)=結核。

矢継ぎ早にヤクザ屋さん事務所に所場代を入れている花屋や居酒屋などで培養される病原菌の根絶がいかに大事かをしっかりと描ききっている。現代医学は当然だけど、その社会にはびこる病原菌の一番効果的な根絶方法として川上、つまり理性による改善を提示しているところが黒澤作品らしい。

その他に見ていて見事だと感じたのは、飲み屋らが事務所に対して何も言えず言葉通りに従う姿を象徴している千石規子演じる女「ぎん」の時代に翻弄されている哀れさの表現。松永に対して恋心を打ち明けるのだが松永は息絶えてしまうも葬儀代を出してあげた、ぎん。戦後のニッポン、進行形で汚れていく沼に象徴されるように、他人にかまってられないくらい自分が生きるのに必死な時代の言い訳を、彼女の口から次々と語られていく場面は本当に感情移入しまくりであった。どうにもならない無力感というのは現代も形を変えて生き残っていくもの。そうして見ると、人間の弱い本質を見抜いてフィルムに焼き残した先人の意気込みがヒシヒシと伝わってくる素晴らしい作品。

この後、『赤ひげ』に継承されていく三船敏郎と志村喬の演技はオーバーアクト気味だったが、荒々しい内容、社会の病原菌と闘う男の姿にフィットしていたと言える。

2002/9/11

(評価:★5)

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