[コメント] 乱(1985/日)
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2023年にもなって、4Kデジタル修復版にて初鑑賞しました。
ピラミッドとか万里の長城とか、「どうやってこんなもの作ったんだ!?」と思うような世界遺産があるじゃないですか。この映画も同じ。どうやってこんなの撮ったんだ!?こんなの、いくら制作費があっても足りないよ。世界遺産級映画。文化遺産として重要文化財に指定するべきだ。どうせならIMAXとかのでっかいスクリーンで観たかったな。
私は、黒澤明の作家性……というかリアリズムって、「自己投影」だと思っています。簡単に言えば、ほとんどの黒澤作品の主人公(あるいは語り部)は、黒澤自身の年齢と比例しているように思うのです。私は晩年の黒澤作品をあまり観ていないのですが、その年齢の感覚が分からなかったからなんです。この『乱』では、75歳の黒澤が70歳の猛将を主人公に据えました。いまでも、その年齢の考え方は皮膚感覚では理解できません。でも、いまなら、黒澤の気持ちがわかる気がします。
この映画の一文字秀虎は、黒澤明の自己投影なのです。いや、結果として自己投影になってしまったと言うべきかもしれません。
映画界で天下を獲った黒澤でしたが、この映画を撮る頃には、もはや大手映画会社は出資してくれない。結果、独立系プロデューサー・ヘラルド・エースの原正人とブニュエル映画なんかをプロデュースしていたフランスの独立系プロデューサーだけが頼りだった。それでも自分の信念を貫いた結果、約26億円の制作費に対し、配給収入は約16億円。それはもう「悲劇」でしかない。
撮影の凄さ以外に感心したのは、話の転がし方と視点です。
この話、冒頭のジジイの「引退宣言」から後は、原田美枝子と根津甚八それぞれの「思惑」で転がっていきます。実はそれ以上でもそれ以下でもない。実にシンプルで確実な話。何と言ったらいいのかな?不確定要素の多い「運命の悪戯」ではないんですよ。必然としての「破滅」。
視点は、小説で言えば三人称、映画的に言えば「神の視点」です。おそらく黒澤は「神の視点」で描くことを充分意識した上で、「仏」の視点を持ち込もうとしているように思います。厳密には「菩薩」ですね。もしかすると「人間はいつまでたっても悟りを開けないね」という物語なのかもしれません。そう考えると、この映画を撮った黒澤明は、75歳でもまだまだ「執着」があったように思います。私は若い頃、晩年の黒澤映画は「枯れた」印象を持っていましたが、間違いだったな。
(2023.01.02 Morc阿佐ヶ谷にて4Kデジタル修復版を鑑賞)
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