[コメント] クラッシュ(2005/米=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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差別意識とは大抵根拠がない。根拠のない不安や恐れ、原因のはっきりしない疑いや不満のよりどころが差別意識なのかも知れない。本作に登場する人物は、多かれ少なかれ自身の行為に対して罰を受けるのだが、その罰の軽重はその人物が差別意識とどれだけ根源的に関わっているかの程度に比例している。
錠前屋、骨董屋の娘、黒人刑事の恋人は、自分の出自に対しての社会の差別意識を寛容しているがゆえに罰は受けない。
検事は被差別者を自分に都合よく利用していたりするが、基本的に差別意識がないゆえに、女房のヒステリーに苦々しい思いをさせられるくらい。
差別を受けていることに怒りを感じてはいるが、そのつけを強盗という行為で清算している2人組は、その犯罪に対しての償いを受ける。そのうち1人などは被差別移民に善行を施したおかげからか罰からまのがれている。
白人社会と妥協しながら地位を築いたTVディレクターは、その過程で充分差別意識と向き合い煮え湯を飲み続けてきてはいるが、目の前で妻を陵辱されるし、白人社会と折り合いをつけている態度を妻に激しく非難され、あげく若い警官の分別くさい指示に従い命乞いをさせられるという数々の屈辱を味わう。
検事と同じくらいの教養と意識のレベルを持ち、社会と折り合いをつけてきた黒人刑事は、最後に弟を助けるため差別問題に背信するがゆえに、あれだけ面倒をみてきた母から最後に拒絶されるというディレクターよりも重い罰がくだる。
自分が差別されることに対し憤りを露にし、差別する側を逆差別するディレクターの妻、骨董屋のペルシャ人亭主は、それぞれセクハラで自尊心を汚された上、横転事故で死にそうになり、自分を陵辱した男に助けてもらうか否かの究極の選択をするはめになるし、かたや店を破壊させられ財産を失ったあげく、あわや子供を殺しそうにまでなる。
差別意識を公然と行う警官は、差別意識の裏返しでもある行政の人種優遇政策を父親とともに苦労をしてきたがゆえに、ディレクターの妻を助け、許されることで、己の誇りを保持することができる。そして理想を語る若い警官のほうが、その本質を軽んじていることをもって最も重い殺人という罪を負うのだ。
検事の女房は、差別意識を持ったがゆえに、話の展開とほとんど関係もなく、唐突に階段から落下させられるという、これは監督の念の入れように恐れ入る。
実際に行っている行為の社会的な善悪ではなく、その人物の差別意識の持ち方に応じて処罰されてる、というところに監督の意図がはっきり出ていて、そういう作為の強いところが好ききらいの分かれ目のように思う。本作の意図は、わが町のリアルな人間ドラマを描くことでなく、差別問題を論じるためのたとえ話なのだから、これはこれでいいのだと思う。
車というセパレートな世界に隔離され、互いを知ろうとする機会のないLAという町で、衝突することでそういう機会を持ちうるかも知れない、という冒頭の刑事の独白も、生活実感ではなく、そういう監督の希望であろう。
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