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[コメント] ヨコハマメリー(2005/日)

天国と地獄』でロケされた根岸屋の詳述が嬉しかった。京都出身の監督は誰かジュリーのドキュメンタリーを撮ってくれないだろうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







メリーさんの書いた手紙が二通映し出され、その達筆と古風な文章に驚かされる。最後に薄化粧で登場する彼女の顔は、皇后陛下と呼ばれたのも頷かされる高貴さを感じさせる。資料不足なのか意図的になのか、本作は彼女の来歴について殆ど語らないので想像するしかないのだが、戦前の価値観を抱いた人だったのだと見える。

彼女は、なぜ頼れる実家があるのに都市を放浪し続けたのだろう。その戦前的な価値観、自分の職業への羞恥、あるいは他の事情で旧家を頼るのに抵抗があったのか、それとも病的な放浪癖だったのか。インタヴューでは厚化粧について「女の性」との応えがあったが、これで納得していいものなのか。親族は帰省前に彼女の事情を知っていたのだろうか。観終わっても判らないことだらけなのだ。

むしろ本作はこれら事情をオブラートで包むことを積極的に美点として提示している。それは優しい所作だろう。インタヴューを受けた人たちの多くが示す、相手を人として尊重しつつ弱い処へ深入りはしない、という配慮と共通している。他方、ドキュメンタリーが示すべき冷淡な客観性が削がれたのは否めないだろう。

しかし、個人的な事情とは関係なく、メリーさんの社会的存在は深いものがある。町から米軍がいなくなっても米兵相手の街娼だけが居続けた。事情を知らない人々は、彼女の存在が何を意味するのか判らなかった。時代遅れの異形という主題と引き起こされるブラックユーモアはカフカのものだ(例えば「断食芸人」)。斬られるのは生理的な反応を下した者である。彼女の戦前的な価値観もそこに含まれるのだろうと感じる。この視点を提供してくれたことで、本作は私の記憶に残るものとなった。ビルの廊下で寝ているメリーさんの画はとてつもない強度がある。

猥雑な昭和と漂白された平成、という対比が思い浮かぶ。しかし、それは単に「本土」が米兵を追い出すのに大方成功したためではないのか。猥雑のしわ寄せは沖縄に集中しているだけではないのだろうか。

(評価:★4)

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