[コメント] トゥモロー・ワールド(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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女性が生殖能力を失った近未来で、ひとりの黒人女性が妊娠をしているという信じられない事実。生まれてくる子供を守るための逃走劇が始まり、当然その子供は人類にとっての“希望”となる。
この映画では、その唯一の希望が人類の可能性を示すという明るさももちろん描かれているが、僕にはそれよりも、希望である子供を守るために通過していく世界の悲惨さにこそ現実を感じ、僕らの生きる世界が絶望に溢れているということを逆に知らしめられた気がしてならなかった。(子供=希望ということの過剰演出として、争いが一瞬止まるというシーンがあったが、あのシーンへの反感からも絶望を感じてしまうのだ。)
近未来という設定が、現代世界の縮図のように見えたことの原因には、話題となっている長回しによる撮影があると思う。技術的に長回しで撮ってみたいという製作側の願望よりも、悲惨な状況の永続性を映し出すためかのように、効果的に用いられていたのが見事だった。
特にクライマックスの戦場でのワンシーンワンカットは、SF映画というよりも完全に戦争映画という域。街頭での激戦の様子からは、旧ユーゴ内戦のようなイメージさえ感じられる。人種もごちゃ混ぜの状況で争っているかのようで…。
収容所に向かうバスの中からの光景も長回しで見せられるが、直前に登場した「ファシストのブタ」という台詞が頭に残るせいで、半世紀前のナチスによるユダヤ人迫害が想起されたり…。同時多発テロ後のアラブ人に対する世界の目線は、一歩間違えば暴力による迫害に繋がりかねないのでは、という考えも頭に浮かんでしまうほどだった。
そして、現在多くの地域で避けられないテーマである、移民。この映画の中にも、崩壊した世界で彷徨う移民たちが多数登場している。妊娠をしているキーにしても、移民のひとりとして括ることができる。戦火を潜り抜けて、平和な場所へと向かう…。しかし、この世界で、本当に平和な地は存在しているのか。ラストシーン、霧が立ち込める海の上で、揺られているボートを見ていると、その不安定さから、安息の地などないような気さえしてくるのだ。どうしても、「助かった」という希望だけをここから感じ取ることはできなかった。
冒頭の荒廃した近未来像を見ると、『ブレードランナー』以降のSF映画を踏襲したものなのかと思った。だが、これはSF映画というよりも現代映画の問題作。意識的に長回しを多用している点や、移民というテーマが色濃く映画に表れている点から、ふとテオ・アンゲロプロスの映画に近いものがあるように思えた。ラストシーンは、アンゲロプロスの『シテール島への船出』に通じる部分を感じたのだ。
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