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[コメント] それでもボクはやってない(2007/日)

いわゆる「劇」的演出を排除し、過剰な感情誘導や鈍重さといった、今までの社会派映画の鬱陶しさの呪縛から開放され日常的説得力を持たせているのはさすが。当たり前のこととして見過ごされてりいる日常の中からヘンなものを抽出する目と力量も相変わらず。
ぽんしゅう

〈周防正行は、日本社会を覆う日常的表層に埋もれてしまい「形式と化してしまった様式や権威」を引っ張り出してきて、最も時代を象徴する状況の中に放り込み、そこから抽出される滑稽さをニヤニヤと笑うことに至上の喜びを見る素晴らしく嫌な奴だ。〉・・・この一文は、周防正行監督初の一般劇場映画『ファンシイダンス』の私のコメントですが、そのままこの作品にも流用できそうな内容です。ただし今回は、ニヤニヤ笑うのではなく、監督本気で怒っていますが。

「不快なもの、怪しいものは排除したい」というのは、人にとしてごく普通の感覚です。たいていの人は、気に入らない他人がいればまず陰でこそこそ批判します。事と次第では、言葉や態度で攻撃し相手を排除してしまうでしょう。不審者(実は、よく知らない人だというだけですが)がいれば、しかるべきところに通報します。これは、日常生活では誰もが経験することで、特別なことではないはずです。ということは「疑わしきは罰せず」というのは、人の本能からするととても不自然な行為だということになります。

ただしこれは、自分自身は、決して不快でも、怪しくもないとうことが担保されている場合のことで、一旦疑われる側の立場に立つと話しは180度逆転します。人にとって「不快なもの、怪しいものは排除したい」わけですから自分を助けてくれる人など誰一人いなくて当然です。そこで考え出されたのが司法制度なわけですから、裁判官は人ではなく神様でないと困るのです。でも、この作品を見る限り神様どころか、ただの石頭の官僚でしかなく、そりゃ落胆もしますし腹も立ちますわね。

実は今朝も、新宿駅で駅員をはさんで「やった!やってない!」でもめている女と男を目撃しました。やぁ〜、みなさん・・・お互い危うい日常を生きているものですね。今回は、周防さんに本当にイイこと教えてもらいました。で、どうすればいいかって?・・・分かりませんね。万が一の時には、神様のような裁判官にめぐり合うように神様に祈る以外仕方ないかもしれません。二重の神頼みです。コレ、可能性低いです。最低です。と言うことは、私たちは最低の日常をおくっているということになります。

で、映画の話ですが実に不思議な映画でした。告発映画というのは、たいてい語り口が過剰になるか、あるいは喜劇として対象をあざ笑うかが常套手段なのですが、この映画にヘンな気負いもなければ、笑える要素もない。これは、対象を冷静に把握して客観的に捕らえる稀有の才能と、過不足なく映像を操る計算された抑制力がないと出来ないことだと思います。「バブルの狂騒と僧侶の戒律世界」、「レジャーランド大学と古色蒼然の相撲部」、「くたびれ会社員と気恥ずかしくも華やかな社交ダンス界」という社会に埋没した「ヘンなテーマ」をピックアップしてきた周防監督のちょっと意地の悪いセンスが、ひとたび硬直した権力に向かったときに見せた論理的かつ冷徹な目には感心させられました。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)おーい粗茶[*] トシ IN4MATION[*] すやすや[*] けにろん[*] ペペロンチーノ[*]

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