[コメント] パッチギ! LOVE&PEACE(2007/日)
ふたつの時代の物語が交錯する本作。狙いは良い。自虐史観から抜け出て、日本民族として誇りを取り戻すという「大空のサムライ」と朝鮮民族として日本の踏み石とされた被害者としての歴史感。このふたつの相反する歴史感が爆発する試写会場のエピソードは構成としては良いアイデアだったと思う。
ただ繰り返し挿入される戦時中のエピソードの編集は如何なものだろう。それらは突然に挿入され、突然に切れる。この繰り返しだった。これらに現在のドラマ進行とのリンクはなく、まさに唐突感だけが残った。
このコマ切れのエピソードの内容については、現在の日韓の係争事案になっている繊細な件であり、この件についてここで私見を述べるつもりはさらさらないが、監督のみなぎるパワーはまさにこの映像を現代の日本の若者に観てもらいたいというココに集中している。そのパワーは間違っていないと思う(もし異論を述べようものなら狂った右翼として社会的に抹殺されちゃう雰囲気ですし・・)
しかし、その主張するパワーはいささかストレートで、その手法はいささか稚拙過ぎやしなかったか?ベテランの域に達した監督が、まるで子供が腕をぐるぐる回しながら突っ込んでいくような姿しか見えてきませんでした。変化球でその主張を伝えられる技術がありながら(まさに前作は変化球だった)今回はそれを忘れてしまったかのようなストレート一本のみ。しかも荒れ球。
自らのパワーの前に熱くなり過ぎた暴走作。しかしこんな暴走出来るテーマの映画が自由に撮れるっていうのも監督の素晴らしいトコなんだとも思います。 ちょっと残念でしたが・・・
PS,物語については政治的なコメントになっちゃうのでビビッて述べませんが、ただ一つだけ・・(我慢できずに)
海辺のシーンやら水戸黄門ロケのシーンやらで、やたら実在の人名やそれとなく推察できるような人名を挙げていたが、それはどんな意味合いがあるのだろうか?現在の日本の若者たちに驚いてもらう為の仕掛けだったのだろうか?これには驚きました。まるで週刊誌が出生の秘密を得意気に(さりげなく)見出しに掲げるやり方と同じだなぁと・・・
今回の監督の怒りは、カミングアウトしない在日に対して向けられているんでしょうか?誇りを持てと・・・
ならば今回はアプローチが違っている気もします。島崎藤村の『破戒』で描かれる部落問題と同義に扱ってしまうには在日朝鮮人の問題は違うんじゃないのかなぁと。この監督が本気で「丑松思想」に首を突っ込んでいくとはとても本作からはその覚悟がみえませんでしたから・・・・・・・・・
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