[コメント] 夕凪の街 桜の国(2007/日)
被爆者たちがこうむった悲しみ、恨み、そして「流した涙」以上の涙が、私たちに流せるわけなどない。60余年前の広島や長崎と、地政と時の流れで結ばれた我々が、当事者たちと共有できるのは、悲しみ、恨み、そして「怒り」のはず。真摯さの裏に覚悟を感じない。
たとえば本作の皆実(麻生久美子)もまた、『黒い雨』(89)の矢須子(田中好子)や、『父と暮らせば』(04)の美津江(宮沢りえ)と同じく被爆後の発病という運命を、引き受けた、いや引き受けさせられた娘だ。彼女たちはみんな、日常を生きるものが当然みせる懸命な明るさと、そこからは想像もつかぬ底知れぬ諦観のなかを生かされている。そして、彼女たちは時おりとてつもなく悲しい表情を見せ、ぞっとするほどの恨みの言葉を口にはするが、涙など見せない。
そんな娘と、彼女たちをとりまく人々の物語を見て、現在の私たちが涙を流すことなどに何の意味もない。私たちが、できることは怒ることだ。同じテーマを扱った今村昌平や黒木和雄の作品には、彼女たちの悲しみと諦観を怒りへと導く意志が存在していた。佐々部清の本作からは、それが伝わってこない。おそらく佐々部は、核兵器反対を口にする程度の意志はあっても、広島や長崎に原子爆弾を落とした当事者のむなぐらを掴んででも奴らの非を徹底的に糾弾する覚悟はないだろう。
現在を生きる七波(田中麗奈)や凪生(金井勇太)の存在をもてあまし、うわべだけの過去の追認という役割しか付与できなかたことが、佐々部の覚悟のなさを端的に示している。『カーテンコール』の時にも、まったく同じことを感じたのだが、佐々部は「悲しみ」の裏には、その存在があからさまに表出しようがしまいが、必ず「怒り」が存在していることが分かっていないのだろうか。それとも、あえて無視しているのだろうか。
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