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[コメント] デス・プルーフ in グラインドハウス(2007/米)

やはりタランティーノの脳内イメージを正確に視覚化できるのはタランティーノ本人だけということなのだろうか。撮影監督クエンティン・タランティーノは第一回作品にしてとりあえず傑作をものにした。だが、まだ底は見せていない。
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**ネタバレ注意**
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ここでタランティーノが目指しているのは所謂「グラインドハウス映画」の単なる模倣や再現と云うよりも、自身のフィルモグラフィ中で最も「映画」らしい映画を撮ることだろう。云い換えれば、これは(タランティーノのとりわけ初期二作のような)「キャラクタ」と「構成」の映画などではなく、ひたすら「撮影」と「カッティング」すなわち「瞬間」の映画であり、しかも潤沢な予算と膨大な手間暇を費やすことではじめて成り立つ類のそれだ。

そのことは、たとえば「カメラ・ポジション」に現れている。走行する車内での女性たちの会話シーンがいくつかあるが、そのどれにおいても少なくとも六ヶ所から八ヶ所のカメラ・ポジションを確認できる。(実を云うと私は「グラインドハウス映画」に親しんだことがほとんどないので迂闊なことは口走れないのだが)制作において厳しい時間的予算的制約が課される「グラインドハウス映画」であれば、ただの車内会話シーンにこれほど多くのカメラ・ポジションが採用されることはないのではないか。云うまでもなく、異なるポジションにカメラをセッティングしなおすたびに時間(すなわち予算)は消費されていくばかりだからだ。だが『デス・プルーフ』はたとえ無内容の会話が交わされるシーンにあっても、的確にフレーミングされた多様なポジションからのショットをこつこつと繋げていき(また、ときにセオリーから外れた繋ぎ方をし)、それによってグルーヴを発生・発展させている。

そう、この映画にはグルーヴがある。それはもちろん前半のヴァネッサ・フェルリトたちや後半のゾーイ・ベルたちの肢体と言葉、またカーアクションが生むグルーヴでもあるのだが、やはりそれ以上に「撮影」と「カッティング」による「瞬間(と、その堆積)」が生み出す映画的グルーヴだ。フェルリトが酒場の扉を開けた瞬間に目に飛び込んでくる、意味もなく土砂降りの雨。危うく殺されかけたのに「ヤバかったね〜」か何か云うだけでてんで平気顔のベルが、車窓から身を乗り出しながら鉄パイプを振り上げた瞬間に開始される逆襲。ラスト間際、逃げ切れたと思ったカート・ラッセルが笑みをこぼした瞬間に現れる白い車体。瞬間的=映画的グルーヴはそこで最大値を記録する。

ところで先ほど、これは「キャラクタ」と「構成」の映画ではない、などと云ったけれども、もちろんタランティーノは今までと同様にそれらにも非常に気を遣っている。前半・後半の二部構成が秀逸であるというのは衆目の一致するところであろうし、この映画が稀有の「女性」活劇たりえているのはベルたちの魅力的な造型があってこそだ。けれどもそれ以上に私を驚愕させたのが、DPタランティーノの回すカメラが彼の監督作品史上最も見事に「瞬間」を捕まえていたことなのだ。

(評価:★4)

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