[コメント] めがね(2007/日)
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結局あの場にいるためには、そのコミュニティの根底に流れる共通概念に順応しなければならない、ということか。それって、自由であるための不自由という問題か?いや、極めて不自由な空間だろう。
『かもめ食堂』はそのあたりが非常に巧く処理されていた。登場人物に「しがらみ」がない。「しがらみ」がないが故に「かもめ食堂」を運営するという共通の目的に純粋性を帯びてくるのだ。
しかし、『めがね』の世界には「しがらみ」がたくさん存在する。もたいまさこが提供するかき氷の対価を問うた瞬間、全員が見せる一種の非難とも見える怪訝な顔。「別にたそがれに来たわけではありません」という答えに向けられる何とも言えないいや〜な空気。自由を求めても構わない。そして自由を描いても構わない。しかし、その世界観が「しがらみ」に取り囲まれているというのは何とも皮肉ではないか。市川実日子は「学校」という極めて拘束性・閉鎖性・保守性の強い職場、そしてその職場を管理する「時間」に縛られている(もしそうでなければ、なぜ「時間」についての描写をあんなに入れるのか)。そして、何より彼女の存在が、コミュニティ内の共通認識を早く体得するように迫るのだ。光石研扮する主人も「たそがれる」ための空間作りに縛られている。そういった次元から離れた所に居る存在がもたいまさこなのだろうが、それならば焦点人物にズレが生じるだろう。そんなコミュニティでありながら、スーパーのような「現実」も隣接させる(スーパーが出てきたときは非常に混乱した)という点も自分には大いなる矛盾だ。「豚身昼斗念」のようなキャラクターの存在がいないことも惜しい。
そういった目に見えない〈ルール〉にいとも簡単に順応してしまう加瀬亮。「ビール」の意味をいち早く察し、それに乗る。「かき氷」を食べて、それを味わいながらここに居る意味に気づく(小林聡美がそうしたように)こともなく「生きてきた中で最高のかき氷」とシレっと言いのけてしまう。そしてこの空間における「引き際」をいち早く心得て去っていく。なんともそつがなくって、そのそつのなさに反吐が出そうだ。
もともとこの映画のCMには「しがらみ」からの脱却が謳われていたはずだが、実際の映画の世界がそのまんま「しがらみ」を描いたものであるという、矛盾ばかりが目についてしまった。同時に、荻上直子は非常に面倒な問題に手をつけたな、というのが素直な感想としてわき上がってきた。
☆☆☆☆☆
小林聡美と市川実日子との海岸でのやりとり。「え?」が気になりませんでしたか?自分は、NHK朝ドラ「どんど晴れ」の「おもてなしの心」級のウザさを感じました。聞きづらいことこの上なかった。
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