[コメント] ミスト(2007/米)
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実体のない不気味な霧に閉ざされたスーパーマーケットを舞台に、じっくりと重厚に、人間ドラマと実体のない恐怖を煮詰めていくのかと思いきや、体は千切れるわ内臓は見せるわ黒焦げた体は見せるわ毒に醜く腫れあがった顔は見せるわで、とにかく直接見せる見せる。クリーチャーの造形も然り。「ミスト」という実体のないものに恐怖する暇もなく、次から次へと(物体Xほどとは言わないまでも)繰り出されるグロテスクなクリーチャーの乱舞、である。
ヒトコトで言えば即物的。傍らで展開する人間ドラマにはそぐわないと思えるような、即物的な描写が散りばめられている。穿った見方をすれば、もはや現代人は、「霧の中に何かがいる」の、その見えない「何か」に戦慄や畏怖を覚えるほどの想像力が欠如しはじめているのではないだろうか、と。実際に目に映ってはじめて実際に恐怖する。「何か」が実体を持ったことで、初めて人々に対してその効力を実際に発揮させるのである。
そして、即物的ということは、何も直接的な描写に限ったことではない。この映画を象徴するような小道具として、銃がある。狂信的な女リーダーの、あまりにあっけない幕切れ。彼女たちに対抗すべく、頭を使うわけでもなく体を使うわけでもなく、ただ銃をぶっ放す。逼迫した状況とはいえ、これ以上即物的な解決方もないだろう。そして、その銃をぶっ放したことによって、撃った本人は少しの動揺を見せるとはいえ、いともあっさり倫理といった精神を縛る既存の箍が外されることになる。銃社会の象徴、と簡単に言ってしまっても良いが、想像力が失われていく現代社会における、即物的な行動や具体的な事象への盲信、そんなことを考えてしまった。
主人公は言う。「やるだけのことはやった」。ただ「僕を殺させないで」という子供との約束のつけ方も含め、人々の狂気のただ中を、その方向を狂わされていることも知らずに走り続けた結果が、最も残酷なラストを招いてしまった、ということなのだろうか。霧が晴れた後に我に返って彼が見たものは、「そんなはずじゃない」としか言いようのない世界なのではなかったろうか。「やるだけはやった」が必ずしも「最善を尽くす」と結ばれるワケではなく、むしろ狂気に満ちたこの世界で、人の判断する善や悪がいかに脆弱なものなのか、個人的にはそんなことを考えてしまった。
ただ、このラストに関しては、あくまで自分が勝手に読み込んだというだけのことであって、実際のトコロは作り手側の悪意みたいなものも感じざるを得なかったりもする。こうしたら面白いだろ、的な。ラストでの主人公の悲痛な叫びをたっぷり撮る位なら、もっと冷徹にその姿を「俯瞰」で撮った方が、話に一本筋が通ったような気もするし。個人的には、霧の中をあるかどうかも判らない光を求めて迷走するトコロで、話を終わらしても良いのではないかなぁ、とも思ったし。
ともあれ、面白かった。そして、この映画に緊張感を与えるのに最も貢献したのは、邪魔にならない音楽の扱いだと思う。その静寂に、人々が息を呑む音とか、霧がうごめく音とか、そんなものが密かに聞こえてくるかのようだった。あともう一つ。男の腰に縛り付けられた縄の扱い。悲鳴ではなく、縄の動きでハラハラさせる描写が秀逸だったと思う。まあ、その後トンデモないもんが飛んできましたが。
(2008/12/29)
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