[コメント] アフタースクール(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まず大泉洋の視点から始めた物語を、一旦佐々木蔵之介視点に移し、クライマックスで再び大泉視点に戻すという手法にやられた。おかげで、あ、大泉は脇なんだ、と勘違いしたこっち(観客)は、土壇場になって足下をすくわれる、って寸法だ。
携帯や指輪など小道具を使った伏線も生きているし、人物をわんさか出しておいて、その人物がどういう設定なのかを全く説明しないというのも効果抜群。例えば冒頭で堺雅人・常盤貴子と登場する山本圭。実は刑事なのに、ネタを明かすまでそれを説明しないため、こっちは常盤のお父んかと思い込んでしまう。勝手に脳内で補完する観客の習性(?)を逆手に取ったやり方とでもいうのか。
この「脳内補完を逆手に」を端的に表したもう1つの例が、堺雅人・田畑智子の2人が一緒にマンションのエレベータに乗り込むシーン。探偵から見せられるセリフなしの映像と、ラストで解き明かされるセリフ付きの映像との落差がどれだけ大きいことか。同じ映像でも、見せ方によってこれだけ受け取り方が違ってくるんだなー、と思わされる。少し大袈裟に言うなら、まるでモンタージュ技法の新しい地平を切り拓いたかのようでもある。
一点だけ気になったのは、前作・前々作に続いて、またも「探偵」というキャラクターが使われていること。探偵は監督お気に入りの存在なのか、それともまさか探偵という軸がないと物語を進められないのか。いくら何でもそんなことはないよなあ、とは思うが、まあそのへんは次作がどうなるか、楽しみにしてみよう。
というわけで、監督、また次も騙してください!早く早く!
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