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[コメント] 20世紀少年 第1章(2008/日)

全編マンガのような面白さ! …原作よりもマンガっぽい? そういう狙いで良かったのか悪かったのか。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







1960年前後に生まれた原作者浦沢直樹と同年代の少年たち。空想の産物が次々と現実の世界の中で作られる「進歩と躍動の時代」を背景に、マンガや特撮物の空想を真に受け、それを思考の核として育ったのが本作で登場する「20世紀少年」だ。彼ら、いや私らは、自らの行動規範に関しては、親や学校から教わったのではなく空想物語から授かったのだと言っても過言ではないのである。だから作者は読者に対して、大人になっても、現実の社会の中でも「いつも心に空想を」とメッセージを送っているのだと思う。これが本作の一つのテーマである。

そしてもうひとつ。空想は「イメージ」や「情報」という言葉になって現実の世界に先行するようになり、「フィクションの現実化」の時代は、やがて「現実のフィクション化」へと様相を変えていく。世界の中で空想の産物を作り出すのではなく、空想に世界が取り込まれてしまう人たちもまたいるのだ。そんな人たちにも、フィクションを克服して欲しい、という願いがあると思う。それがもうひとつのテーマ。

白と黒の双子の20世紀少年たちの世界大戦。後者が先に「少年となって」現実となった今(日本じゃ本当に現実になったわけだから)、前者の者どもは「大人のまま」いつまでも立ち上がらなくていいのか? そんな「マンガのようなパワー」を現実感覚に訴えてくる話なのだと思う。

原作では、マンガという媒体の中で、そこでの「現実」とその中で語られる「フィクション」とをしっかり描いている。浦沢直樹は、リアリスティックを重視した作風で、読者が置かれている現実の世界と作品を地続きにしたうえで、その作品世界へうまく誘導し、フィクションに没頭させるというのがとても得意である。「なんだ、たかがマンガじゃないか」と分別臭いことを言うような大人を、たやすくマンガの世界に取り込んでしまう「現実描写」がすこぶる上手いのだ。だから本作で描かれているような「現実」の世界に悪夢のようなフィクションが割り込んでくる状況の、いや〜な感じがとてもよく表現されている。ラストの「2000年血の大晦日」の現実感は、映画の比ではない。というか、映画ではむしろフィクションとして安心して見ていられる。ラストだけではない、殺される刑事、カルト宗教「ともだち」、名前が思い出せない謎の同級生、こういうものに対して現実の世界で味わうような肌寒さが原作マンガではもっと強いのである。

総じてそうなのだが、本作「20世紀少年」は面白いことは面白いのだが、それはまったくもってフィクションとして面白いだけなのだ。逆にマンガみたいな面白さって言うか。

監督は本作で「原作の完コピを目指した」とインタビューで言っていた。原作キャラクターの顔に似たキャスティング、原作と同じアングル。確かにたいした意味も無く、それらを原作と異なるものに変える必要はないと思う。コミックの場合、最初から「画」があって、その原作の「画」こそが結局最も力を持っているのだ、という考え方は、コミック作品の映像化が増え続ける昨今、方法論としてはとても納得できる。

でも監督にやってもらったことで私にはわかったことがある。それはリアリステイックといっても、浦沢直樹の作品って結構マンガなんだなということだ。だってかつての空想少年→青年ロッカーのしがないオヤジの画って、「赤ん坊を背負ったコンビニ店主」だもの。そんなにカリカチュアされた設定だったってこと、実写にしてもらってよくわかった。そんなわかりやすいキャラいないって。そしてともだちの若い信者たちの「失敗だ」「失敗だ」っていうのもほとんどコントに近いくらいデフォルメされていたんだな、とわかる。マンガの表現を、映画という別のフォーマットにコピーしちゃうと、現実感の意味合いがまるで違ってくるのだ。

映画の中ではその現実感が損なわれたことで、世界が破滅されていく現場の怖さや緊迫感がまったくない。7人がロボットに立ち向かう前、オッチョからマークの由来を聞いたユキジが吹き出す場面、一瞬の緊張を和ますという意味合いが、前提の緊迫感がないのでほとんど効果をなしてない。映画には映画のリアリティがある。考えてみれば当然だ。

しかしまあ、原作の「絵空事のような現実感」という、そこにポイントを置かなければ、これはこれで「絵空事」として楽しめる作品として成功しているのかもと思う。まったく飽きない。そう言う意味で唯一映画単独として失敗しているのは、ともだちの正体の扱いかな。「ともだち」は「あの同窓会にいた一人」であるというのが、なぜか映画では落ちている。いたのかいないのかはっきりしない(原作では担任の先生だけはその正体を視認するのだ)。顔を見せなくても、確実にそこにいた誰かであったと言ったほうが、観客の「ともだちの正体は誰か?」という謎を思う意識が高まってくると思うのだが…。お面の下から「謎とも思っていない顔」が出てきても、それは面白くないよね?

(評価:★3)

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