[コメント] グラン・トリノ(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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しかし、この映画に張り巡らされた現代アメリカを象徴する記号の数々からして、そう一筋縄ではいかない作品だと知らされる。
フォードの工場で勤め上げたというポーランド系の主人公は、イタリア系の床屋やアイリッシュ系の建設業者という(WASPでない)カトリック系の交友関係を持っている。そこには貧しいヨーロッパからの移民が助け合って生きて来た20世紀のアメリカの縮図がある。
主人公の「宝もの」は、自らも生産に関わったという1972年型のフォード・グラン・トリノ。これが何とも微妙だ。この手の「ハイパフォーマンスカー」の代表と言えば、フォードならば何と言ってもマスタングであり、全盛期はマスキー法の排ガス規制でパワーダウンする前の1971年までだろう。そこをあえて1972年のグラン・トリノとするのは、その後のオイルショック、ベトナム戦争の終結(敗北)と「アメリカの栄光」の凋落が決定的になる、その「終わりの始まり」の象徴だろうか。
主人公は、朝鮮戦争で「13人の若者を殺した」ことがトラウマとなっている。しかし、死を決意した最後の懺悔でも、そのことには触れない。ただ、夫として(妻以外の女性にキスをした)、アメリカ市民として(小額の税金を申告しなかった)、そして父として(息子たちに上手く接することができなかった)の過ちの許しを請い、心の平安を得た、と言う。朝鮮での出来事について、主人公は最後まで自分で自分を許すことが出来なかったのだろう。結局、自らを犠牲として「磔」になることで隣人となったモン族の姉弟を救済しようとする。
そのモン族がアメリカに住んでいるのは、ベトナム戦争でアメリカに協力した後、難民化してアメリカに移住したという経緯がある。主人公の隣人となったモン族の姉弟は、血縁関係にある同じモン族の不良グループにつきまとわれるが、これはかつての貧しいヨーロッパ移民たちのストーリーの繰り返しのようにも見える。
主人公が死んでしまう話であるのに、まるでそれがハッピーエンドだったような不思議におだやかな希望を感じさせるような印象を残す。葬儀のシーンでのモン族姉弟の正装(ネクタイに民族的な飾り付けと言うアメリカ文化とのミックス)姿に、何故か涙が出る。
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