[コメント] 抱擁のかけら(2009/スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ストーリーをよくよく思い返すと誤魔化されている感もある。オマールとペネロペ・クルスの交通事故は観客にとっては初耳だが、劇中世界では周知の事件だったはずだ。ここでミステリとして機能するのは当て逃げ犯の身元の謎と、不完全な「謎の鞄の女」公開に纏わる事情である。
オマールの立場からすれば、すべての黒幕はホセ・ルイス・ゴメス(財界人エルネスト役)であり、実行犯が誰であろうが、身内に裏切り者がいようが、もうどうでもいいという心境だったのだろう。それが監督名「マルコ」を捨てた意味であり、彼は敗残者として余生を過ごしているに過ぎない(それにしてもオープニングのファックシーンは色気が充満していたが)。
そんな彼が過去と向き合うきっかけはエルネスト死去の新聞記事であり、ジュニアの来訪であったわけだが、このあたりを順列事象の骨太ストーリーとして語れないのがアルモドバルの異型たる部分である。
アルモドバルはセックスを通じてしか人間関係を描けない。だから血筋由来のエルネストジュニアの葛藤をストーリーの軸にすることはできない。自然な流れでいえば彼は「私はあの事故を目撃したしビデオにも撮っている、私は事故そのものには関与していない、あのような卑劣なやり方をする父親という男を憎んでいる」という告白をもってオマールにアプローチすべきところである。
ところが物語はそのようには推移せず、まずはオマールの内面とクルスの過去を紐解く形を採用する。対話によらない語り口の映画だからそれでもよい。貧困家庭と癌を患う父、色を売るクルスといったベタベタのクリシェもさほど気にならないのは、用意周到に懐柔するゴメスの狸親爺ぶりの見せ方の上手さもある(高級売春クラブの女店主のルックスもいい)。
社長が囲った妾が芸事に精を出すことも、主演女優と監督がいい仲になるのも、映画の題材としてはあまりに手垢がついてはいるが、原色基調の美しい衣装メイク美術が施された被写体としての魅力は否定できない。それらを欠いた生身の女の肉体を晒す瞬間もきっちり用意されていて圧巻だ。
セックスを経由したとき、アルモドバルはその真価を発揮するが、もう一つのキーワードは職業の扱いである。とりわけオマールの生業である映画制作となると、水を得た魚のように俄然作品は輝きを増す。エージェントであるポルティーリョ、その息子で弟子的アシスタントのノバス、それぞれの関係性は実に生き生きと描けている。ノバスがヴァンパイア映画のアイディアをオマールに語って聞かせるところなど、師弟を越えた親子の親密さが出ていて微笑ましかった。
そう、映画を初めから見ていれば、この三者の関係性は観客には十分に理解できるのだ。オマールとポルティーリョが(少なくとも過去の一時期には)事実上の婚姻関係であったことも、ノバスがこの二人の息子であることも。そうした実の家族関係を、ことさら口に出さずにそれぞれが了解しお互いを思いやるところが慎ましい。
ところがアルモドバルは最後に蛇足を加えてしまう。ポルティーリョが、「あなたの実の父親はマルコなのよ」という、朝のキッチンの告白シーンは不要だ。劇中人物にとっては必要なプロセスかもしれないが、映画としてはここはカットすべきである。
とはいえ、その前夜に「謎の鞄の女」のネガが存在するというポルティーリョの爆弾発言は効き目があった。自動車事故のビデオと合わせ、過去の作品を再編集して世に出すというオマールの動機としては十分だろう。このあたり、あまり泣かせの演出はしていないものの、音声だけでその映画のシーンが目に浮かんだであろうオマールと、実際に彼の目となって父のフィルムを編集したノバスの心象は感動的であった。フィルムとフェチズムの組合せとなるとさすがにアルモドバルの真骨頂と言わざるを得まい(そうじゃない映画は作れないの?という疑問を残しつつ)。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。