[コメント] 息もできない(2008/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
つばを吐きかけられて少女は男にがんをつける。男は女を当然殴る。女も負けてはいない。男を殴る。面白い。緊張感が走る。真実の瞬間だ。心の想いそのものをぶつかり合う。二人は似ているのだ。血は濃いというけれど、その家族が彼らを捉えて離さない。父親は暴力でしか家族に想いを伝えられない。帰っても家は地獄でしかない。
それでも家族というしがらみに、しがみ付くしかないことを二人は知っている。血だ。血がそうさせる。
男は子供時分、自分がひるんだせいで妹と母親を亡くしてしまう。自分が父親の暴力にひるんだせいで愛する妹と母親を亡くすのだ。そのため以降父親を憎み続ける。しかし、二人を亡くしてしまった根本原因が自分の勇気のなさであったことをつくづく感じている。だから父親への嫌悪は実は自分への嫌悪であることは自分が一番よく分かっている。
だからいつも素直になれない。すべてに対して敵対心を抱いている。だから、取り立て屋という仕事は彼にとっては自分のエネルギーを爆発させるには持って来いの職業だ。そんな時に少女と知り合う。二人は何も話さずとも同じ境遇であることを感じ取る。ぶっきらぼうの二人の付き合いだが生まれて初めての安らかな時間を嗅ぎ取っていく。
男は父親を厭というほど憎んでいる。それなのに父親が手首を切ると血が災いして慌てふためき病院へ担ぎ込む。そして献血を申し込む。血が憎悪の連鎖を断ち切るのだ。妹、母親を殺した父親だけれど血が赦しを求めるのだ。それ以上に、ある意味自分が妹と母親を殺めたものだとも自覚しているのだ。
少女と付き合うようになってから何かが変わり始めている。心が渇いていたのが潤ってくることに気づく。それは少女も同じであった。二人はそれぞれ最大の不幸の時に夜中に糸が引かれるように逢う。漢江の畔である。言葉はかけなくとも二人は分かち合える。恋愛というものではない。と言って友情というものでもない。男と女、そして年齢を超えた暖かい、敢えて言えばそれこそ愛というものであろうか、、。
男が少女の膝の上に頭を載せてむせび泣くシーン。少女も泣きたいのに男には聞こえないように我慢している。それでも顔は崩れてしまう。何と、美しいシーンであることか。吠える狼たちが幼児に戻ったかのような感動的なシーンだ。幾度と映画を見てきたが僕自身こんな浄化させられるシーンも珍しい。(フェリーニの『道』以来かもしれない)
ところがこの後、この映画はお決まりのドラマに走ってしまう。狼たちの、すなわち僕たちの心の遠吠えをがなり立てていた映像が映画的ドラマへ突進する。男が少女の弟に殺戮されるのは例えば男が車にはねられるのと同じなのだろうか、、。
僕たちは映画を見るけれど、映画に虚構を見たいがためではないのだ。虚構の映画を見ているがそこに真実の何かを見たいのだ。男を殺すのであれば取立てにあった客でもいいし、それを見ていた幼児でもいいのだ。少女の弟というのがどれほどの意味があるのか、、。
とは言いつつ、久々に男と少女の嗚咽シーンは僕の映画的高揚を久しぶりに感じ取らせてくれました。この秀逸なシーンだけでもうこの映画の価値は十分あると思います。題材は偏っているように見えるけれど、人間の魂の叫びが画面から聞こえてきました。とても普遍的なテーマです。本年きっての秀作です。
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