[コメント] 春との旅(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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仲代達矢の老境に達しての演技は、評価されていいだろう。鏡を見せられているようで冷や汗をかく想いだったのだが、彼は生きている時代の羅列から何も学ばなかった男を好演している。専門馬鹿であり、平穏無事な世の中でしか生きられない男だ。そのくせ意地っ張りで偏屈であり、ひとの愛情を心底では渇望している。
そんな爺さんを徳永えりは愛すべき対象として甘えさせている。彼女は愛らしい娘にとどまるちっぽけな女ではない。蟹股で歩き、叫びたいときには不平不満を大声で喚き散らす。その彼女が爺さんと繋がれていることを信じ、自分の幸福を犠牲としていることを、大伯母は見て取る。
この大伯母の言葉は弟の甘えを白日の下にさらけ出す。概して女たちが聡明で逞しいこの映画世界において、彼女は弟の怒号や駄々が通用しない現実を見据えた態度をとり、娘の行く末を案じ、そのために弟と引き離そうとする。淡島千景の大きさが見て取れる一場面だ。大滝秀治や柄本明にも彼らなりの甘えがあり、それらを支える妻達の存在なくしては一歩も進めないであろうことを陰に陽に描写する小林政広の胸中には、身勝手な男たちへの嫌悪と、それを包み込む母性的な女たちへのすまなさが同居しているのかもしれない。
その想いはいつしか爺さんにも僅かながら受け止められ、獄中にある気の合う弟のために尽力し続けるその妻、田中裕子への感謝や、あろうことか自らを父代わりに迎え入れようとする徳永の父の後妻、戸田菜穂の尋常ではない包容力の前にやっとそれを拒む現実性に目覚めさせられる。そしてさらに祖父に寄り添う孫娘の前で、彼は倒れ伏す。その結果がどうだったかは描かれない。だが、これは祖父の魂の自裁ととるべきだろう。杖を捨て、孫娘におぶれと命じた祖父の我儘から、彼女はやっと解放されたのだと。
これは男の甘えの時代への挽歌ととりたい。女たちの夢が再生するための贖罪の物語ととりたい。そんな想いがある。
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