[コメント] 英国王のスピーチ(2010/英=豪)
ここでもヘレナ・ボナム=カーターこそがすばらしい。コリン・ファースが愛すべき人物であるというのはその通りだろうが、私たちがまず愛するのはボナム=カーターだ。私たちの愛するボナム=カーターがファースを愛するまなざし、観客はそれを共有することによって、初めてこの内気な癇癪持ちを愛する。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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スピーチを「技術」として描いている点はよい。クライマックスの開戦スピーチを筆頭に、すべてのスピーチ原稿はファース自身が著したものではない。したがって、それらの言葉は彼の心を直接反映したものではありえない。彼はそれを「読む」だけだ。しかし自身の吃音症のために、彼は「読む技術」に関して人一倍自覚的であらずにいられない。仮にこの映画が感動的であったとして、それは「ジェフリー・ラッシュによる技術の伝授」「ファースの技術習得」という技術の物語を裏切っていないためだ。
一方で、以上の側面の徹底を躊躇って、吃音症の克服を「心の治療」としても語ろうと色目を使っている点はつまらない。吃音症の発症が幼児体験に起因するものであることが多いのは臨床的な事実なのかもしれないし、またジョージ六世に関しても史実なのかもしれない(もちろん、私はその実際を知りません)。しかし、こと「映画」においては、そのようなことはどうでもよい。どうしても心について語りたいのならば、「心的な問題の解決によってスピーチを成功させた」ではなく「スピーチ技術の習得を通じて心的な問題も克服した」という物語にしなければ映画にならない。この演出家はおそらくそれについて無知でないがために、却って曖昧な態度を取ってしまっている。
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