[コメント] マイ・バック・ページ(2011/日)
「30歳以上の人間の言うことは信じるな」・・・これは当時の若者の間に流布していた惹句だ。沢田(妻夫木聡))にとっても、梅山(松山ケンイチ)にとっても、さぞかし魅力的な呪文だったことだろう。では彼らは、いったい何を信じればよかったのだろう。おそらく信じるに足るものなど何もなかった、いや見えなかったのだろう。
だから彼らは、信じられるのは自分だけだと強がってみては、不安を抱えて時代の流れのなかを彷徨っていたのだ。梅山(松山ケンイチ)は自らの非力さを悟りつつ虚勢を推進力に突き進み、沢田(妻夫木聡)はジャーナリストにとって最も強固であるはずの大義にすがりながら孤立する。頑なに立ち止まることを拒む若者たち。彼らにとって自己否定は社会の、そして自分の未来を「無」へと転落させてしまうことを意味していた。
日本では鶴田浩二や高倉健のような強い男がスクリーンのなかを跋扈していたとき、アメリカでは『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)のジャック・ニコルソンも、『真夜中のカーボーイ』(69)のダスティン・ホフマンも父親の権威や、自らの非力さを前にして泣いていた。人は自分を否定しても「無」になどならないものなのだ。何かが終わり、次の何かが始まるだけだ。否定の先に立ち現れる肯定すべき何か。それこそが、本来、人間が信じるべきことなのだ。
今回の映画化を知って、黄ばんだ文庫本の原作を引きずり出し「マイ・バック・ページ」を再読していた。60年代と自らの青春の挫折に対して万感の思いがつづられた川本三郎の原作は、いま読み返してみるとその感傷のたれ流しにいささか戸惑うほどウエットな内容であった。川本の子供世代である30代の山下敦弘に、こんな特異な時代の気分を色濃く反映した話しの映画化は無理だと思った。
しかし、山下ファミリーの脚本家向井康介は原作にはない梅山(松山ケンイチ)の活動を書き込むことでドラマ性をふくらませ川本の感傷を周到に排除していた。同じく山下の盟友である撮影の近藤龍人(この人は『ウルトラミラクルラブストーリー』や『海炭淡市叙景』など近年の仕事ぶりが実に目覚しい)は、逆に、赤みがかった光線と陰影によって、いかにもそれらしいフェイクで時代の空気を演出してみせた。そして、当の山下も、じっとこらえて大人の画づくりに徹した。沢田の成長物語は、奇しくも山下ファミリーの成長を映画ファンに知らしめる一作となった。
余談だが、真子(忽那汐里)のモデルは当時、週刊朝日の表紙モデルを務め、後に何本かのドラマ(私はNHKの「黄色い涙」で彼女を記憶している)、に出演して、21歳で鉄道自殺した保倉幸恵だ。川本三郎は原作のなかで、彼女による「泣く男」の指摘は“大発見”であり、後にこれをもとに「アメリカ映画における〈泣く男〉の系譜」という一文を書いたと告白している。
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