[コメント] 股旅(1973/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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一見して、その独特のカッティングに違和感すら感じる人もいるだろう。確かに変と言えば変な映画ではある。しかし忘れてはならない。これはATGの映画なのだ。だからその変な感覚は、観客に媚びない自由さと言い換えてもよいと言えるだろう。
そんな自由さの中、本作を撮り上げるについてピーター・フォンダの傑作『さすらいのカウボーイ』に影響を受けたという市川崑のインスピレーションが炸裂する。
例えば冒頭の仁義を切るところを延々と捉えたシーンからして楽しいことこの上ないのだが、これを尾藤イサオから始める、その順番がよいのだ。これがショーケンや小倉一郎では面白さが半滅してしまう。まさに尾藤の、あのどこか情けなさが漂う言い回しがあってこその楽しさであった。
そうでありながら、物語自体は小倉一郎が柱となって突き進んでいく。これも前述の尾藤と同様に小倉だからよいのだ。彼の持ち得る存在感があってこそのあの情けなさが実に心に沁みてくる。特に親を切ったり、井上れい子を売ってしまった際の、あの渡世人とは思えぬボロ泣きの情けなさは絶品であった。
さらに言うと、最後に残るのがショーケンだというところも正しい選択だ。「野グソでもたれに行ったか」などとボヤキながら、オロオロと立ち尽くすあの情けない姿も、まさに彼にしか出せない味であったと思う。またそんな情けない姿を残してあっけなく終わる終幕も見事だった。
このようにこの映画は、色々な場面において男の情けなさが描かれる映画であるが、その情けなさを表すポイントがしっかりと押さえられているところに好感を抱いてしまう。
確かにナレーションに関しては行き過ぎた感があるにせよ、市川崑が当時の映画界に夜討ちをかけようとした思いは確かに伝わってくる、まさにATGならではの自由さ溢れる秀作である。
末筆ながら、小林節雄の撮影もとても好ましかった。いかにも寒そうなあの風景は、主役の3人が心に抱く渡世人ならではの何とも言えぬ寂しさをそこはかとなく表していて秀逸であった。
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