[コメント] SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者(2012/日)
第一作では漠然と被写体を追うだけで間(ま)を持て余したような長回しが多少鼻についたが、今回は見定めた状況、すなわちマイティの転落から絶対に目をそらすまいという入江と三村和弘の強い意志を感じた。覚悟のうえの無茶は緊張を生み見る者を惹きつける。
「いつかきっと」という夢を文字通り夢想的に描けば、熱きフーテン音楽放浪者であるイック(駒木根隆介)とトム(水澤紳吾)になっる。彼らはライバルたちと協調こそするが、相手を蹴落とすために本気で競ったりしない。それが前二作だ。ポジティブだが、どこかぬるま湯感が漂う。きっと入江悠も、そのことに気づいていたのだろう。
本作のマイティ(奥野瑛太)の「いつかきっと」は現実と向き合ったがために、もう後がないところまで現実の隅へ隅へと追いやられてしまう。夢は現実を追い込み、現実は夢を追い詰めるものなのだ。そして、下降スパイラルが始まる。だからたいていの若者はみな、そこから逃亡するために夢を捨てるか、現実に目をそむけるのだ。
入江悠は優しい奴である。本作で現実を現実として認めつつもなお、例えまだ温ま湯と非難されようが、未練がましくも夢を喚起する面会所のシーンを準備してしまう。この入江(=今の若者)の優しさは美点には違いないのだが、視点をかえれば時代(現実)に対する脆弱さでもある。そこが『ヒーローショー』(2010年・井筒和幸)との違いなのだ。当事者意識の強度の問題か?
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