[コメント] 仁義の墓場(1975/日)
『現代やくざ 人斬り与太』で菅原文太を用いて任侠映画への決別を告げた深作であったが、続く『仁義なき戦い』シリーズでも「杯・親・兄弟・組」というヤクザ組織での最低限の掟というものが根底に描かれていた。
だが、続いて公開された本作では、それらのすべてを完全否定してしまった。杯を交わした親や兄弟に何の躊躇いもなく切り掛かり、あげくはヒロポン中毒で廃人化していく「戦後最悪の粗暴犯」。実は『現代やくざ 人斬り与太』で菅原文太が演じたのも本作の石川力夫がモデルであった。だが、深作は物足りなさがあったらしい。
『仁義なき戦い・広島死闘編』の山中(北大路欣也)も実在のモデルが存在した。劇中の山中は警官隊に包囲された中で悲劇の死を選択し、我々観客はある種のヒロイズムを彼に感じさせる作りになっていた。だが、本作の石川力夫はヒロイズムとは縁遠い人物であり、娯楽映画としての爽快感も彼への感情移入も無い。
この伝説の主人公を極めてドキュメンタリータッチで描いた本作は、前作の『仁義なき戦い』の評判を自身の手でひっくり返そうとしたような感すらある。『仁義なき戦い』は東映に莫大な収益をもたらし、批評家から絶賛され、当人が考えていたよりも過分な評価を得ていた。へそ曲がりの深作は、それが気に入らなかったのだろう。
それ以前にも『軍旗はためく下に』が「反戦映画の良心作」と評価されたことにシラケ、晩年に『バトル・ロワイヤル』で叛旗を翻している。それに何にもまして『仁義なき戦い』は脚本の笠原和夫が深作に手を加える事を許さなかった。脚本を大幅に改訂することから始めるへそ曲がりの深作にとってアレは自身の作品ではなく、笠原の作品なのだろう。
だから本作は深作が思ったとおりの自分の作品にしたのだろう。
嫌々ながら大御所鶴田浩二と組んで任侠映画を撮り、菅原文太と組んでソレを壊し、さらに初めて渡哲也と組むとせっかくの金看板まで否定してみせた。行き着く先は「暴力」であった。
『トラ・トラ・トラ』で得たギャラで映画化権を買い取り、半ば自主映画のような形で制作された『軍旗はためく下に』も、国家による暴力や極限状況に追いやられる暴力にたいしては結局は「暴力」でしか抗えないというアンチテーゼであった。アレは「反戦」を綺麗に描いているのではないのだ。
そういった究極の「暴力」を描いたのが本作であり、深作本人も代表作の中の1本に自ら挙げるのが本作である。深作欣二のフィルモグラフィーを見ていく上で、最も脂の乗り切っていた70年代前半の作品群の中でも、彼の作家性=「暴力」を突き詰めたのが本作であると思う。
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