[コメント] ウルフ・オブ・ウォールストリート(2013/米)
ウォール街のウルフの噺だそうで、やはりマーティン・スコセッシは阿呆だな。太眉だな。と嘆息せいでおれぬのは、まず挿入楽曲に得々とハウリン・ウルフを採用してしまえる点で、ウルフだからウルフ! さすがにこの発想は六歳児に比肩する。むろん、それでこそ我らがスコセッシである。スコシージである。
最高殊勲賞が与えられるべきはマシュー・マコノヒーであったにしても、全篇にわたって映画がコメディから逸脱することを予防しているのは、内向的な翳りを持たないレオナルド・ディカプリオのキャラクタ造型だ。もはやこれ以上スコセッシとの協働を重ねても得るものは乏しいのではないかしらと訝っていたけれども、むしろここに来て初めて「スコセッシならでは」かつ(ハーヴェイ・カイテルでもロバート・デ・ニーロでも再現できないところの)「ディカプリオならでは」のキャラクタ像が発見されたように思う。
しかし、それにしても、この『ウルフ・オブ・ウォールストリート』はまるでパロディのように撮られた映画だ。真面目に、あるいは悲劇的に語られた真正の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』が先立って存在すると仮定し、その仮定上の作品に対するパロディのごとく撮られている。その趣きが最も顕著なのは、やはり不覚にもラリりすぎたディカプリオが地べたをのたうち回りながら自動車や電話と格闘するシークェンスだろう。物語はこれほど行き過ぎた痴態が画面上に繰り広げられることを決して要求していないはずだ。それでもスコセッシはそうしてしまう。なぜか。これがパロディだからだ、とすれば合点がいく。この映画に対する「いったい何をやっているんだ」「どうしてここまでするのか」という観客の戸惑い(それが肯定的なものであれ否定的なものであれ)は、拠って立つ原典が存在することを予期すらしないままモンティ・パイソンに触れたときの反応におそらく近しい。
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