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[コメント] 百円の恋(2014/日)

終盤の安藤サクラに「がんばれと応援したくなった」などと軽はずみに言うと、無言+三白眼の左フックで沈められそうだ。外部の視線と価値を求めず、内なる光のみで輝いている。こういう人が強くて美しいのだと思う。私は私の在り方で、このように在りたい。憧れる。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「がんばる」とか「勝つ」の意味は常に時代とともに変容し続けるが、こと今ほどその意味が拡散・多様化したことはないように思う。「勝ち」とか「負け」なんて相対的なものでしかなく、価値は自分で見つけるもの。誰もが目指す指標が失われた社会で個に収斂される社会自体はアリ、むしろそうあるべきであるとすら思う。

ただ、その多様さの許容は結局のところ、どこでも何にも価値を見出さずに腐った人間があふれかえったり、反動のように自己満足や偽善すら紛れ込む「つながり病」の蔓延しかもたらしていないように思う。だからといって目指す価値が均一だった時代も嫌なのだが、今も端的に嫌いだ。端的に「醜い」と思う。

この映画はそういったものへの苛立ちと打破を代弁してくれるところがあって、しかもそれがまさにその「醜さ」の「中」から行われるという作劇がとてもよかった。一子は家族から切り離され、バイトを始めるが、「つながり」を求めているわけではない。ただいやおうなしに放り込まれたどうしようもない「つながり」の中から、自らを含めた「醜さ」を見出す(再三差し込まれる「鏡」の挿入が象徴的。)狩野との同居シーンはほっとさせられもするものの、狩野も大概な男なので案の定破綻する。私としてはいったんつながりを断つこの流れが良かった。「隣に誰かいてくれれば」、「誰かのため」、「がんばる」なんて甘さに逃げずに、個の価値を貪欲に研ぎ澄ましていった純粋さが崇高だと思う。そして、その先に始めて本物の「つながり」が見出される。

終盤のサクラの輝きには本当に惹かれるものがあった。何故ボクシングをするのか、客観的に説得的な理由など必要ない。外部の視線と価値を求めず、内なる光のみで輝いている。ライティングがこの辺意識的で、リング上ではそれが顕著だ。その光で周囲が照らされる。こういう人が本当に美しいのだと思う。

「戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。ファイト。」あの歌が、なぜささやくように歌われたのか、少しわかった気がする。

(その他備忘)

・坂田聡の、「ぼくねー、マイミク(SNS)の友達申請もらったんすよー」の件が私は一番イラッと来た。さりげないが「意味のないつながり」を提示する重要なモチーフだと思う。

・エンディングテーマが良い。「負けたのは、戦ったから」。多分、導入時の一子は負けてすらいなかったのだ。トレーナーの「立て!立って死ね!」という叱咤に心を動かされた。

・安藤サクラはブス役が巧いだけで、普段は全然ブスに見えない・・・と私は思っている。というのは、いわく言いがたいが、サクラはクライマックスの一子そのものであるように見えるから。(実際、美人であるように思うのだけど・・・否定される度に悲しくなる)。ともあれ、素晴らしい俳優だと思う。

(評価:★5)

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