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[コメント] 永い言い訳(2016/日)

自分を愛してくれる存在を簡単に手放してはいけない。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







という(ような)台詞があるけど、本作のテーマはそこに集約されるのだと思う。

どんなに「愛し方」がおかしくても、勘違いでも、自分にとって不都合でも。愛は与えるものだというように、本来的には愛するほうが対象に対して一方的に与えるもので、そもそも双方向ではない。

主人公は妻の自分への愛し方がずっと気に入らなかった。君はほんとうの僕を理解しようとしていない、自分勝手に好きなように自分を愛しているだけ、君は自分の勝手な幻想をぼくの上に投影してそれを愛しているだけだ、ぜんぜんぼくのことわかってないでしょ。作家が自分の作品に対してこめた思いが、読者のそれとずれている、というような職業柄の不満もあいまって、主人公はその思いがひときわ強化されていく。ぼくはちゃんと対象者を理解したうえで対象者のことを愛するのに…と。

偶然知り合ったトラックの運転手の息子への愛は、まったくなっていなかった。だめだよもっと子供たちのことを理解してあげなくちゃ。そこに介入してうまくいく。子育てなんかしたことなかったけど、やっぱり自分の考え方が正しかった。だからどんどん育児にのめりこむ。

しかし結局は運転手の強烈な一方的な愛の方に破れる。そこで愛とは本来そういうものなのだ、ということに気づく。愛はほとんど無償で与えられ、それをただただ受け入れるだけのものだ。自分の都合で相手の愛し方を選んではいけないものなのだ、と。それが前述の台詞なのだと思う。

(少し脱線するけど、ストーカーの愛が正しいのか、といえば、私個人の考えでは、一方的なものという点では正しいんだろうと思うが、独占欲という自己愛の変形であればそれは間違いではないか、というところが分かれ目かなと思う。)

で、いつも(勝手に)思うのだが、西川監督のキリスト教的な思想をここにも感じてしまうのだ。要するに愛とはつまるところ神の愛であると。人間がそのスタイルを選んではいけない。「愛しているんだったらなぜ救ってくれないのか」と人間が神に対して思うあれのことを本作は一つの形にしたのだと思った。

(評価:★4)

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