[コメント] 河内カルメン(1966/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「鈴木清順だから」ということは抜きにして、普通に面白い映画。でも5点俺だけ(笑)。
とは言え、後に「清順美学」などと呼ばれる“お戯れ”((c)奥田K子女史)が無いわけではない。 無いわけではない、というか、あるんだけどね、何と言うのか「ナンダコリャ!」という感じではなく、素直に「面白いなあ」「凝ってるなあ」という感想を持てます。俺だけ。
“お戯れ”を「キャッキャッ」と喜ぶのも清順映画の楽しみ方の一つで私もそういう所が無いわけではないし、『ピストルオペラ』なんかの(まあ、あれはかなり酷いが)暴走する“お戯れ”に置いていかれる感じ(ワケワカラナイ感じ)ってのも嫌いじゃありません。 むしろ清順ファンたるもの、そのアンバランスさこそ魅力と思うべきなのでしょう。 でも、私が本当に好きな清順は「バランスのとれた奇抜さ」だったりするのです。
「最も好きな邦画」と言い続けている『ツィゴイネルワイゼン』も、そのテーマやストーリーの中で、実にいい塩梅に“お戯れ”で、演出はおろか役者までもがいい塩梅に壊れかけ(腐りかけ)、非常に危ういながらもバランスが保たれているが故、何度観てもゾクゾクするのです(<俺だけ)。 今にして思えば、『陽炎座』や『夢二』がそれほどゾクゾクしないのは、松田優作や沢田研二があんまり壊れてなかったからなのかもしれません。
で、この映画、近年の“お戯れ”(=壊れ方)を“100清順”とするなら“40〜50清順”程度なのですが、主演・野川由美子もまた“40〜50清順”程度の壊れ方をしていて、実にいい塩梅にバランスが保たれているのです。 その結果、滝上に立つ野川由美子は素直に「カッコイイ」し、鏡クルクルの佐野浅夫との会話は素直に「面白い」画面だし、野川と佐野の別れのシーンは普通に「名シーン」なのです。 そんなこと言ってるのは俺だけですが。
清順の“お戯れ”は下手なのではなく意図しているのだ、とよく言っているのですが、シネスコ画面をフル活用した「座布団ズズズッ」なんてシーンを観ると、「清順って巧いんだなあ」と再認識するわけです。つまり清順はピカソと同じなのです。今観られる“100清順”な壊れっぷりのバックボーンには、本当は素晴らしく巧いデッサン能力があるのです。これもまた俺だけが言っていることですが。
『けんかえれじい』も撮っているこの年の清順は絶好調だったんだなあ。 ま、その絶好調がエスカレートして翌年『殺しの烙印』でクビになるわけですが。
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