[コメント] 生きてるだけで、愛。(2018/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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自販機に頭突き。血が垂れている。走りたくなる。うわ、メンドクせえ女。これと付き合うのか。ちょっと引ける。どんな意味でごめんって言ってる。そこだ。もう少し見ていこうと思う。あとは微妙に首を傾げながらも的確な描写力・表現力で最後まで見られた。
映画を見るのは自分が置かれている状況を再確認するためか。願望の充足か。エンタメはたいて願望の充足、でも現実認識が甘いと願望の充足にリアイリティが生じない。現実認識が的確すぎるとその通りだった、と暗い顔して映画館を後にすることになる。その兼ね合いが難しい。と
叫んだり走ったり演技(演出?)過剰だと感じられるところがいくつかあって状況確認に少し齟齬を生じる。ウォッシュレットの話は現実確認としてリアリティがあるが、ブレーカー飛ばして絵として見せてくれなくてもいい。裸で走るのはもっとみすぼらしくないかい。私の姪が高校3年生の冬休みに入る終業式の日、校庭で全裸になって走り回った。入院6ヶ月。電気ショッックで復活した。その時のことは記憶が飛んで覚えていない。私は何度か病院へ行った。今は結婚して福祉の仕事をしている。それが私の状況。それに見合う画面を見たい。もちろん全く違っていいが、感じるところは同じレベルであってほしい。それが状況の再確認。あるあるそういうこと。ほんとにそうだよね。と思わしてほしい。パソコン窓から投げる。画面の音が消える。地面に落ちて壊れる。あんなにうまく壊れるか。私の状況確認と微妙にずれる。ま、小さなことだけど。
とすれば、もっとお前をわかってやればよかった、は願望の充足だ。生きているだけで、愛、の題名通りだ。そんな愛があってほしい、と思う。だからここはいい。
なだたるシネスケの重鎮がのきなみ★5評定。これは何をおいても見に行かなければ。ネトフリで寅さんを見ている場合じゃない。昭島で見た。外へ出ると12月らしい風が吹いていた。メールを開けると、訃報が2件、高校の同級生がなくなった。ひと月前にあったばかりだ。今年はこれで身近な人間が6人死んだ。なかなか大変な映画である。以上。
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