[コメント] Helpless(1996/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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処女作にしてこの緻密な構成力と映画的記憶の豊富さ、そして「脅威の新人」というステロタイプすら先回りした周到な計算高さ。
たとえば冒頭の俯瞰ショットと、脱出をはかり結局村から出られなかったパラシュート男の話とのさりげないリンク。
あるいは冒頭近く、安男(光石研)と健次(浅野忠信)の邂逅からはじまる延々4分以上も続く長回しショットの、異化効果をともなう緊張感。
たとえば北野武や黒沢清の映画からの影響の濃さをうかがわせる所にすらも、まるで「脅威の新人」というレッテルをあらかじめ想定しているかのような監督の確信犯的要素を感じられないだろうか。主人公につけられた健次という名前から容易に導き出される中上健次という名も、ついに大逆についての物語を書きえず急逝したこの作家の直面した「躓き」と、89年という時代設定からこれまたベタに想像しうる「父殺し」=「大逆」の不可能性という物語とを重ね合わせるためのものであろうし、あるいは……etc.
……やがて町(外部)へと赴くことになる安男の妹ユリ(辻香緒里)と健次、この二人に凶兆を告げるかのように町に遍在しつづける安男の亡霊。《つねに-すでに》外部への道は閉ざされたまま。そして、乾いた倦怠感と閉塞感に対する「響きと怒り」の声(「自分の勝手で妹を殺すな!」)は空しく山中にこだましたままだ。
そんな世界のなかで、人間どもが味わっている閉塞感をよそに、それでも木々は風に揺れ、陽光は無関心に照り続けている。その不気味なまでの清々しさと透明感。ここで私は思う。そうした無関心をも、閉じられた世界を揺さぶるノイズとして(偶然に?)映しこんでしまう、映画じたいがもつ「表象の暴力」に、一抹の可能性を賭けてみたいと。これは、そんなギリギリの地点にまで見る者を追いやる映画だ。
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