[コメント] 黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
冒頭、主人公自身による丁寧なモノローグで、彼が一流とは言わずとも二流まではいかない会社の、定年前には部長級も夢ではない中間管理職であることがわかる。また、その日は土曜日らしく、半日出勤を終えた彼は友人の誘いを断り馴染みの台で遊興し、わずかな原資で煙草と味の素を得たうえで自らの部下でもある愛人宅へと向かう様子が示されるわけだが、この数分の描き込みによって我々は、この一見風采の上がらない40男が、仕事や遊びに至るまで、そのさじ加減を心得たなかなかのやり手であることを知らされる。ここが本当に巧い。このような、どんな会社にも1人や2人はいそうな男が主人公だからこそ、我々は保身に走る彼の行動に、裁判所でしれっと嘘の供述をする姿に、それが決して自分のことではなくとも、現実味あるものとしてこのドラマを捉え、その後の展開の怖さに打ち震えてしまうのだ。
例えばこれが池部良や岡田英次のような二枚目が主演なら、それはいかにも劇画チックに過ぎるだろうが、何せ小林桂樹が、元祖はだかの大将が原知佐子を囲うのである。しかも彼女のその健康的な美しさと言ったら! もうここまでされたら、しがないサラリーマンは、現実は理解しながらも、主人公に羨望や夢、あるいは願望のような思いを抱いてしまうというものだ。そう思わせておいて、道端での隣人との遭遇という予期せぬ展開をワンカットで見せる。そこには原知佐子まできちんと映り込ませているわけで、これはもうほんと素晴らしいではないか。
そしてそれ以降は、陰と陽とのスピーディーな切り換えで見せていくわけだが、そこに西村晃や小池朝雄、さらには菅井きんなど、一度見たら忘れないアクの強い顔も登場させることを忘れていないことにも嬉しくなった。
ラストの当て所もなく呆然と歩き去る主人公の姿にも何とも言えぬ余韻を感じるのだが、監督した堀川弘通の晩年の供述によると、本作にはあと2つの異なるラストシーンがあったらしい。それが嘘でなければ是非そのバージョンも見てみたいものだと思うのは私だけだろうか。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (5 人) | [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。