[コメント] 男はつらいよ 望郷篇(1970/日)
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エピソードの数珠つなぎにしか見えない作品も少なくない本シリーズ、本作はとても脈絡の整った流麗なホンで突出している。森川信の死去という夢は本筋に反映され、ドタバタに仕上げられたあと木田三千雄の親分の死に引き継がれる。寅屋の明るさと対照的な小樽の病室の暗さ。婚外子松山省二の説得力のある告白(探し訪ねた親父は赤線の女を殴っていた、という)。寅は双方の云い分とも頷かざるを得ない(寅の父親も遊び人だ)。渡世人でいる限り女を持っちゃいけない、松山のような不幸を生んでしまう、という必然的に生じる感情はシリーズ通じて繰り返されるものだが、当作の説得力は中でも優れている。
だから帰省して堅気になろうとするのは、女を持とうとするのと同じことで、長山藍子への岡惚れにきれいに繋がる。寅にとって堅気とは、女を好いて真面目に結婚して、子供を育て、その子に見送られる死を迎える、という、木田と正反対の人生のことなのだった。
この作品の流麗さは、シリーズ通じて生じる違和感を際立たせてもいる。その最たるものが、なぜ地方ではあれほど思慮深く聡明な寅が、柴又では間抜けでドタバタばかりやっているのだろう、という違和感だ。この対立が本作では著しい。私が確認したのは、寅にとって結局、家は居るべき場所じゃないのだろう、ということ実も蓋もない事実だった。
ラストの花火大会が中途のポスターで予告される等、流麗さは徹底している。職探しに疲れて寝転んだ渡し舟の手綱が切れて江戸川を下って浦安に行きつく、というファンタジー・タッチも好ましい(ただ、到着シーンも撮らないと判りにくい)。
長山が寅にいつまでもいてくれと頼む際のミニスカートからのぞく太腿は反則技。これも含めて鈍感女の造形に優れており、そのまま終わるのも天然系の彼女だから許される(この人の演じるさくらというのが想像できないのだが、テレビ版ってどこかで観れるのだろうか)。佐藤蛾次郎が露出多いのも美点。「ボウフラの湧いた水でも呑ませておいたらいいんです」他、寅のギャグが冴えわたっている。秋野太作との再会で締めるのも素敵。本作、最終回の予定で撮られたらしいが、この優しいラストならそれも歓迎されただろう。全く、地方では寅は人格者だ。
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