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[コメント] 激突!(1971/米)

恐怖の対象を「トラックそのもの」という無生物に設定し、その〈奥〉にいるはずの「運転手」は徹底的に正体不明の抽象として処理することで、類型としての物語は都市伝説の様相を帯びる。不思議だけど日常的のような。現実的だけどすべてを主人公の妄想に帰しても差し支えないような。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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やっぱり細かいところがとてもよい。柵に激突して停車させたデニス・ウィーバーの眼鏡がちゃんとズレていること。タンブル・ウィードが行く手を邪魔すること。トラックが絶えず煙を吹いていること(面白いのは終盤、ラディエータの故障でウィーバーの車がトラック以上の煙を吐きはじめ、それはウィーバーにとっては大ピンチのはずで、もちろん彼も無茶苦茶あせるのだけれども、むしろそこからウィーバーは勝利に向かっていくというところですね。「より多く煙を吹いたほうが勝ち」といった趣きで)。

トラック運転手に対して「見せない」演出が貫かれていることは云うまでもないが、スピルバーグほどの演出家が「見せない」演出の重要性を痛感していたことは当然であり、したがって問題はむしろ「どこまで見せるか」ということだろう。ここでスピルバーグが出した答えは「腕と脚まで見せる」だ。正解。「脚」がなければウィーバーが犯人探しを試みるカフェ・シーンの成功はなかったし、また(「追い抜いてオッケーよ」などの意思を表示するところの、すなわち「運転手」が実在することおよび彼にも意思があることを証明するところの)「腕」さえも見せなければ物語は過度に超現実に接近してしまっていただろう(それはそれで面白いという説もありますが)。

ところで、これはさほど多くは指摘されていない事柄のようなので云っておこう。「『激突!』がティーヴィ映画として制作されたことは幸福である」という言説があるとする。その論拠としてはおそらく「制作予算/時間の厳しい制約のため、プロットほか諸々の無駄が切り詰められ、演出の創意工夫を生んだ」ことなどが挙げられるだろうが、私はそれ以上に画面サイズ(アスペクト比)についてが重要ではないかと思う(予算/時間が厳しいのは何もティーヴィ映画のみに限ったことではないから)。一九七一年に制作されたこの映画がはじめから劇場公開用として企画されていたならば、「スタンダード」という画面サイズを持つことはなかっただろう。実にアメリカ的なだだ広い荒野を舞台にしながら観客にはただしく「窮屈さ」の印象を与えるのは、その画面サイズ(およびそれに合わせた画面設計)に拠るところが大きい(実際に測ったわけでも資料に当たったわけでもないのですが、見た感じとティーヴィ映画であることを鑑みれば、『激突!』のアスペクト比はアカデミー・スタンダードよりもさらに正方形に近い、つまり横の比率が小さい1.33:1でしょう。ヴィスタやスコープ・サイズの映画に見慣れた私たちからすると、それだけでもかなり窮屈な印象を受けるはずです。と、ここまで書きつけたところでIMDbを見てみたら、やはり1.33:1とありました。でもtheatrical ratioは1.85:1だったんですね。うーむ)。

(評価:★4)

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