コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 人情紙風船(1937/日)

薄く軽い紙風船。薄い壁を隔てた二人の男の、遠い距離。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







何といってもラスト・カットの、溝の水面をゆらゆらと流されていく紙風船。恰も又十郎の寄る辺ない魂が昇天していくかのように、画面奥へと流れていく。又十郎の、妻・おたきに対して終始、穏やかでにこやかな夫を演じ続ける態度と、それと対照的な、おたきの氷のような無表情には、観ていて泣きそうになる。ラスト・カットには、むしろ一抹の救いさえ感じてしまう面もある。

このラスト以外でも、ワン・カットに様々な感情を凝縮する演出手腕は炸裂している。毛利様がいらっしゃいましたとお駒を呼びに来た忠七と彼女が、部屋で二人きりで会話を交わすシーンでは、部屋に置かれた人形を捉えたショットが延々と続く。この人形がまた、お駒のツンとしたお嬢様っぷりとマッチしているのだが、毛利の持ってきた縁談に気が進まないお駒と、その気持ちに気づかない振りをしているような忠七の会話が、二人の表情が写されない人形ショットに重なる音声だけで展開することで、二人の心的距離や、会話の孕む緊張感がピリピリと伝わってくる。

また、そのお駒が新三にさらわれるシーンでの、彼女の落とした髪飾りを新三が踏むカットで暗示する巧さ。お駒を自分の部屋に監禁した新三が、床に桶を置き、そこに雨漏りの水滴が何度か落ちる。この、ほんのちょっとしたカットによって、淡々と経過していく時間が感じられる。ゆえに、このカットに続いてお駒は泣き崩れるのだ。新三の部屋という空間的な拘束のみならず、何も為しえないまま残酷に時間が過ぎていくという、時間的拘束。

ラスト・シークェンスでも、又十郎が妻と心中させられる一方で、新三は親分と刀を抜いて向き合いながらも、勝負の結末は見えない。真正面から敵に立ち向かい、定かならぬ勝負に賭ける新三に対し、妻に背後から刺されて死ぬ又十郎の情けなさ。どちらも、刃によって決着をつける点では共通してはいるのだが。

この、新三と又十郎の関係も絶妙なものがある。仕官の頼みを聞いてくれなかった毛利が新三の謀に降参したことを聞いて、初めて愉快そうに笑う又十郎。新三の片棒を担がされていた彼は、単に妻が不在の家にお駒を置いていただけで、殆ど何もしていない。近所の女たちからも見損なわれる。そんな彼が、新三と薄い壁一枚隔てた部屋に暮らしているという仕掛けが利いている。お駒拉致のシーンでは、壁を隔てて新三と又十郎が話すシーンがあり、お駒を返すシーンでは、新三は窓越しに又十郎に声をかけ、それで事が済んでしまう。新三は、自宅にくつろいだままで気軽に又十郎に頼みごとが出来てしまう。このことで、又十郎の受動的な立場がいっそう際立つのだ。

人質騒動が一件落着した後に、忠七が、お駒に駆け落ちを持ちかけるシーンは、この映画に於ける唯一の希望を感じさせるが、その点でも、自ら能動的に動いた新三と、受動的に片棒を担いだ又十郎の不能さとが対照的に感じられる。紙風船のラスト・カットに子供が絡んでいることからしても、若い反抗心(新三)、若さ(お駒と忠七)、幼さ(子供)、といった不確定な未来にこそ希望を見出そうとする姿勢が見てとれる。死んだ父の手紙という、過去にのみ唯一の希望をかけていた又十郎は、そのこと自体が既に絶望的だったのかも知れない。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)緑雨[*] ぽんしゅう[*] 3819695[*] ナム太郎[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。