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[コメント] 銀河鉄道999(1979/日)

ロボット、SL、西部劇、宇宙船、海賊、年上の女性。一切の論理的整合性を無視し、少年の憧れる景色だけをごった煮にして物語は進む。しかしその子どもじみた普遍性こそが、今作に問答無用の力を与えている。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 大人にすら有無を言わせないその強引な力は、その大人たちが子どもの頃に抱いた夢の力だ。時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない。これは言いたかっただけ。とにかく今作はその夢と旅情、そしてハーロックの侠っぷりで観客を押し流し、その荒波の中で着実に鉄郎の成長を描いていく。強引さと繊細さが同居した何とも不思議な映画だと思う。

 ただそれだけに、鉄郎の成長にいつしか取り残されてしまうメーテルにイライラする。ベビーフェイス(善玉)の顔をしながら鉄郎を999へと導いたと思ったら、機械化母星に着いた途端に「部品運び屋」の正体を明かしてヒール(悪玉)ターン。ところが実は反機械化勢力の一員であったという展開で再度ベビーターン。にも関わらず星を破壊する段になると「この星は私!」みたいなこと言って葛藤を始める。もうねぇ、お前どっちだよと。そこまでに部品として潜伏する同士を散々送り込んでるんだから、そんな葛藤10年前に済ませとけって話だよ。挙げ句最終的に星を破壊するのは鉄郎だったりするから、もうメーテルはフラフラしているだけの頼りない存在と化している。「揺ぎなき導きの者」として存在していたはずなだけに、この辺りはホントに「イラッ」とする。

 この「鉄郎の成長」と「メーテルへのイラつき」の関係は、「息子とおかん」の関係に似ている。遠い昔には万能の存在と信じていたおかんが、自らの成長と共にその万能さを失い、時としてイラだちを伴いながら擁護すべき対象と変化していく。だからこそメーテルの体は鉄郎の母のものという設定になっているんだろう。これは鉄郎少年が男になり、メーテルおかんを超えていく物語なんだ。息子は自分の中でおかんの万能さが失われていくことを嫌う。鉄郎はいい子だからそんなイラつきは見せないが、何故か代わりに僕がイライラしているわけだ。「恥ずかしいから友だちが来たときに変なお菓子出すなよ!」的なイラつきだ。

 2時間という尺の中での時間配分やテーマの進展に関しては完璧だと思う。ただそれでもやっぱりテレビ版のように延々と旅を続けるほうがしっくりはくる気がする。何か地球と機械化母星が近く思えちゃうんだよな。感覚的には東京→八王子間くらい。もう一歩気を遣って、「長旅の末に宇宙の果てに来た」感じが出ていると嬉しかった。

 とまぁあれこれ言いながらも、懐かしさで胸がいっぱいになり、鉄郎の成長を肌で感じ、ラストのゴダイゴの曲の神懸った高揚感に涙してしまっているので、やっぱり力強い作品だなぁとしかまとめようがない。馬力が違う。

(評価:★4)

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