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[コメント] ハリーの災難(1956/米)

“暗”の題材を“陽”で描写するコントラストの使い方、ヒッチコック作品では頻繁に登場するマクガフィンの使い方、それらの巧さによって笑いを誘う。ハラハラしつつも笑いどころが満載だ。
Keita

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 痛快なブラックユーモアに満ちた作品だが、映像の色調は美しい秋の風景を捉えているという明るさ。死体が落ちているというドラマティックな設定があるのに、登場人物たちは死体が落ちていることが、さも日常的かのように行動する。死体という重みを感じさせる事柄を、あえて軽快に描いた。ここにヒッチコックが好むアンダーステートメントの笑いというのが生れている。そういったコントラストが徹底されていることによって、この映画は死体を扱いながらも愉快で笑えるタッチに仕上がっている。

 さらに、ヒッチコック映画には欠かせないマクガフィンによっても、この映画は愉快なものになっている。まず、シャーリー・マクレーンの家のクロゼットの扉が開いてしまうことが、サスペンスを展開する上で伏線が張られているかのように見せられるが、これが実はたいした意味を持たない。保安官代理が家にやってきたとき、ジョン・フォーサイズはクロゼットの扉の前に立ち、扉が開かないようにしているかに見え、クロゼットの中に死体を隠したのでは、という疑惑から緊張感が生れる。しかし、実際はクロゼットには何も隠しておらず、死体はバスタブの中に隠していたのだ。クロゼットの扉が開いてしまう様子を何度も見せておきながら、実際はなんの意味も持たないマクガフィンなのだ。ここでヤラレタ、と感心してしまう。

 もうひとつ、ジョン・フォーサイズが富豪に対して何を望んだかということが隠され続ける。この望みを、死体にまつわる何かのトラブルが起こった際の秘密兵器になるようなものと推測することもできる。だが、ラストシーンで、その望みがダブルベッドであったことがユーモラスに明かされて、大爆笑である。富豪への望みも、サスペンスの展開している最中は何かしら意味を持たせているように感じるが、いざ伏せられたものを明かしてみると、それがダブルベッドとは、まったくなんの意味もないマクガフィンなのである。「マクガフィンにはなんの意味もないほうがいい」とヒッチコックは語っているが、確かに最後のダブルベッドはまったく意味がないからこそ大笑いしてしまうのだ。

(評価:★4)

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