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[コメント] 地球防衛軍(1957/日)

約半世紀前(!)の「特撮」と、現在の「SFX」を考える。前者は「”意”あって”力”足らず」。後者は「”力”あって”意”足らず」としてしまえば短絡化がすぎるのはたしかなのだけれど、しかし(以下→)
かける

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アルファー号・ベータ号はケムリ出してるけど動力は何? ミステリアンは建設資材をどうやって持ってきたの? などなどツッコミどころを探したらキリがない。しかし、この映画の見どころはそんなところにないわけだし、あげ足がとれることをして評価を下げるべきでもないだろう。むしろその勢い、荒唐無稽さがカタルシスを増やしてさえくれている。

また、当時の「侵略」とか「戦争」に対する皮膚感のようなものを感じることができることは多くのコメンテータの方が指摘されているとおりだし、それだけでも一見の価値はあると思う。

また、プリミティブな特撮技術の持っている力強さもまた前者同様に評価されている部分だが、オプチカル合成はともかく、洪水シーンやモゲラやミステリアンドームの吹き上げる土砂の描写などには正直驚いた。どうして最近撮られたものよりも上質に見えるのだろう。まさにそのへんが、前述した”何”があって”何”が足りないのか、という部分なのだと思う。

また、ストーリーそのものに奥行きというか、陰影をあたえているのが、それこそミステリアンのシールドの中の素顔がケロイドだった、というような作り込み、しっかりとしたボディに支えられていたと思う。クライマックスのパラボラ対ドームの描写はやや単調かもしれないが、それを飽きさせないのも、ドラマ作りの部分が(いささか強引ではあるにしても)映画全体をグイグイ牽引していたからではないだろうか。

この後結果的には東宝特撮は怪獣路線、というかゴジラ路線にまっしぐらになってしまうわけだけれど、その功罪のマイナス面の一つは、怪獣という台風のようなある意味「自然災害的」なものが定期的に来襲することが、文字どおりのルーチンワークになってしまったことではないだろうか。本作がまごうこと無きSF映画だと考えたとき、特に善玉に転じて以降の「ゴジラ」の登場が「お約束」にしかなっていないと強く感じるのだ。

ミステリアンの来襲には、時代性とも相まってプリミティブな恐怖とでもいうべき何ものかが内包されていて、それを巧みな演出で映画に昇華させた。それがこの映画の「見ごたえ」になっていたと思う。

追記

マーカライトファープと相打ちになるモゲラ2号(?)がパラボラに斬首されるシーンは狙ったカットだったのだろうか。だとしたらスゴイ! でも、もしかしたら『ラドン』の操演のヒモが切れたシーンのような「それイタダキ」のカットだったかな、とか色々想像してしまった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)おーい粗茶 ゼロゼロUFO[*] 荒馬大介[*] sawa:38[*] 水那岐[*] ぱーこ[*]

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