[コメント] 秘密(1999/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
↑これだけならネタバレにならないよね?
5点のコメントを見ると、「感動しました。でもラストは余計。」というのがほとんど。逆だよ!本当なら「ラストで感動しました。」と書かせる映画のはずなのだ。いや、5点をつけた人が馬鹿だと言っているのではない。そういうコメントを書かせた監督に怒りを感じる。「ラストが感動的」と言われて、ベストセラーになった原作が、なぜこんな映画になったのだ?
直子は何故、藻奈美が戻ってきたような芝居をしたのか?それは平介に苦労させまいとしてなのだ。娘の肉体に妻の精神が宿っている、これが平介を苦しめている。だから自分の存在を消したのだ。それなのに・・・映画の直子はただの嫌な女じゃないか。夫から文句を言われずに好きな男と付き合いたい。映画の直子はそんな女になっている。平介を自由にしようなんて心遣いは微塵も感じられない。
おまけに平介まで文也を平気で殴って嫌な男になってしまった。原作では一度も殴れずに泣き崩れたのに。だからこそ「二回殴らせてくれ。」という台詞が印象に残ったのに。テディベアの扱いもお粗末。あのテディベアこそが、直子はまだいるのではないか、と思い当たる重要なキーだったのだ。二人の大切な指輪を入れたあのテディベアが……。ああ、原作の感動的な要素がことごとく潰されている。
”直子”がいなくなってから”藻奈美”は「結局、一種の二重人格だったんじゃないかなあ。」と言う。もちろん平介は、あれは間違いなく直子だったと確信している。この台詞、一見余計に思えるかもしれないが、削ってほしくなかった。直子が消えた−−−それどころか最初から直子などいなかったのだ。このような解釈が成り立つからこそ、「直子はまだいるのではないか。」というラストが生きてくるのだ。
しかし、何よりの罪は、原作のあの曖昧さを無くしたことだろう。原作では結婚しようとしているのが、藻奈美なのか直子なのか、はっきりしない。直子はまだいるのではないかというのは、平介の疑惑にすぎない。はっきりしないから、平介にとっては、藻奈美と直子、両方を手放す気分なのだ。だから「二回殴らせてくれ。」という台詞は原作のほうが、ずっと感動できる。
-
むしろ変えて欲しいのはラストよりも前半だ。原作を読んだときの感想は、「もっと短くしてもよかったんじゃないかなあ。余計な部分が多い気がする。でもラストは評判通りだったな。」というものだった。
本筋に絡んできそうで、後半まったく登場しなくなる石田ゆり子はまあいいだろう。”浮気をしなかった平介”というのが後半ひいてはラストにまで影響を与えるのだから。でも伊藤英明はいらなかったんじゃないか?僕なら彼の役をそのまま金子賢に当てる。そうすれば彼がヒロスエと結婚するという展開も、あんなに唐突にはならなかったと思う。最初はバス事故の被害者と運転手の遺族という関係だったのが、徐々にそんなのを越えていく。嫉妬する小林薫。俺はずっと浮気しなかったのに。そしてそのままラストへと落ちていくのである。どう?この方がよくない?
映画は原作のストーリーをほとんどそのままなぞっている。違っているとしたら、ヒロスエが最初から高校生であること(原作ではなんと小学生の段階から物語が始まる。小学生の娘から「あっちの方はどうする?」と訊かれたらびっくりするよな)、金子賢の母親が登場しないことか(これは正解だったと思う)。ここまで原作どおりに作っておいて、どうして肝心のラストを改悪してしまったんだろう。
監督にはじっくり反省して、そしてこう言ってほしい。「あの頃ぼくらはアホでした」 (悪口が過ぎるな。東野圭吾の著書だけど)
-
ちなみにtomomiさん、東野圭吾は大学の先生役で出ます。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (6 人) | [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。