[コメント] あの子を探して(1999/中国)
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余り語ることの無い主人公ミンジの思いをどう感じるかで、この作品の好感度は変わってくるだろう。私は、チョークのことを綴った日記がすべてを変えたと感じた。上手い下手に関わらず、生徒の気持ちを考えた行動が、そこから始まったからだ。
当初、代替教員としてよりも、その仕事で手に入るわずかな収入が目当てだったことは間違い無い。その後、ホエクーに帰ってきて欲しいと、カメラを前にして涙を流すまでの経緯で、彼女の気持ちはどのような変化をしていったのか?自らの収入への執着心から人を大切に思う気持ちへの変化は、恐らく彼女自身が歩いたようなテンポで少しずつ、しかし着実に移り変わって行ったのだろうと思われる。
一箱だけのチョーク、微々たるレンガの運搬料、たった2缶のコーラ、とても足りないバス代への作戦。そんなエピソードを交えながら、徐々に徐々に生徒達と共感を深めて行く。そして、持ち金をはたいて買った墨汁を薄めて使ったり、空腹を満たすにはとても足りないパンや残飯…、テレビ局まで延々歩く姿…、「それでもあきらめない」という強い意思が圧倒的な力を見せつけていく。
ひたすらに歩くその一歩一歩が、チラシを書くその一筆一筆が、局長を探すその一言一言が、どれほど無謀で考えの足りぬ行為であろうとも、観る者の胸を打つのはあきらめることとは無縁の行為であるからこそだろう。そして、村には無いたくさんの数の自転車や食料、そしてマスコミを前にしても、へこたれないばかりか、愚痴の一つもこぼさない。努力とはかくあるべし、と訴えているかのようにその姿は胸に突き刺さる。
しかし、忘れてはいけないことがある。それは、その努力に手を差し伸べた人々の存在である。余計なことをされても尚人助けの為だからと運搬料を払い、食べ物を恵み、募金が集まる。チャン・イーモウ監督の中国の貧富の差の不幸を嘆くメッセージは、一方で中国の良心を誇らしげに謳い上げている。その手法を嫌う人もいるだろうが、私は素直に拍手を送りたい。そして、この日本でも、そんな映画が誕生することを切望する。もし、それができないとしたら、きっと自分は、この映画に描かれたどの人よりも貧しい心の人間であると自覚しなくてはならないような気がするのだ。
あきらめる事の無い美しさ、それを感じられる美しさ、この映画はそれを描いたのだと思い候。
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