[コメント] 17歳のカルテ(1999/米)
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スザンナの「手の骨が無くなっている」という奇妙な訴えは、作家志望の彼女が、ペンを持つ手の実在感を喪失している事の表れなのだろう。つまり、世間体を気にする両親に逆らい、大学へは進学せずに作家として独り立ちする事を求める彼女も、実は自身、その事に確信が持てないのだ。
DVDの特典映像として収録されている、カットされた場面の内の一つ、スザンナが母のピアノを聞き、ちょっとした会話を交わす箇所は、実はかなり重要なものだったのではないか。母は、育児の為にピアノの道を諦めたと語る。これがスザンナの無意識下で、自分の為に夢を犠牲にした親の意に背いて作家を目指す事への罪悪感を生み出し、上記の手の骨の症状という形を取った事が、容易に予想できる。この場面で母の弾くピアノの音色が、長年のブランクを感じさせる拙さを見せる事が、スザンナの心に針となって刺さっただろう、と感じさせる。この時の曲、エリック・サティ“グノシェンヌ”という選曲がまた、静かな不安に荒れ狂う、とでも言うか、夜の静けさに不穏に染み透る曲調だ。
映画の終盤、リサから逃れようとするスザンナの手が、彼女自身が閉じようとした扉によって挟まれる。重い扉に骨を砕かれそうになり、苦痛にうめくスザンナ。これは、彼女が手の実感を取り戻した事を示しているのと同時に、それが、仲間たちから引き離される苦痛を伴ってもいる事を表しているのではないか。スザンナが、リサたちから爪弾きにされるのも、スザンナが理性の立場から仲間たちを観察・批評する者になり、仲間たちとの間に境界線を設けたから。それは、日記の執筆、つまりペンによる再生という形を採っているのである。
この映画、どうしてもアンジェリーナ・ジョリーの存在感が目立つが、スザンナを演じるウィノナ・ライダーが、それに劣っていたとは思わない。あの、おどおどとした目の中に、どこか、抑制された攻撃性を湛えている表情は、少なくとも僕にとっては、最も印象に残った演技だった。そうした、一見すると地味な役回りを演じた彼女は、役柄からして既に凄まじさを発散しているリサ役ばかりが評価されるのを、かなり理不尽に感じていたのではないだろうか。
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