[コメント] かくも長き不在(1960/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「アルベール、アルベール・ラングロワ!」
周囲の呼びかけに記憶をなくした男の体が反応する
男がおもむろに両手を挙げた瞬間
まるで時間が止まったかのように
現実世界の喧騒が一瞬途絶える
現実がなりを潜める代わりに
曖昧な男の過去が暗闇に浮かび上がる
現在と過去の反転
女は男がアルベールである事を知り
同時に女の知らないアルベールであることも知る
こちらから追いかけても縮まることのない
絶えがたい二人の間の距離
男の表情は恐怖で凍りついている
しかし後ろ姿でしか男の過去を見ることのできない女には知る由もない
「かくも長き不在」
この時間がいかに長きかを女は悟る
追いかけても無駄なら帰りを待つしかない
女の目から迷いが消える
そして気の遠くなるような時間を迎えるために冬支度を始める
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クライマックスの視覚と消音の表現が素晴らしい。というか、女の知らない男の過去は後姿で語るというスタンスが秀逸。上記のくだりの前奏とも言える頭の傷跡を発見するシーンも、彼女は触れることは出来ても「鏡の向こう側」にしかそれを見ることがない。それは彼女が認知できる「現在」と夫の戦争での「過去」とを異質の空間で、距離を置いて提示している、という解釈もあながち穿ち過ぎではないと思う。
そのシーンで流れるダンスの音楽も、甘美な旋律ながらも、反復のリズムがいつしか空回りの印象すら覚える。その曲のタイトルが「三つの小さな音符」。三つとは過去と現在、そして覚束ない希望しか残されていない未来のことなのだろうか。この映画の基調となる三つの要素、ということで(ややこじつけ)。
ともあれ戦争の傷跡を描いた映画として秀逸な一本なのだが、それを支えているのは過去と現在の緻密な演出であることをあらためて思い知った。レネ作品などの編集を手掛けた監督の、まさに面目躍如。そしてアリダ・ヴァリの強い意志を秘めた目が、素晴らしい効果をあげている。
(2002/8/11 再見)
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