[コメント] 禁じられた遊び(1952/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私にとって「良質な映画」とはなにか?いくつかのところで書いているが、それは一言で言えば、“衝撃”だと言える。しかし、その衝撃というのは一言で言えるものではない。画面を見ているだけで、激しいショックを受ける時もあれば、映画が終わってからしばらく経って、それでじわじわと意味が分かってきて、自分なりに「おお、そう言う意味だったのか」と突然気付いて、改めて衝撃を受ける場合もある。本作は私にとっては後者の筆頭。
これを観たのは随分前だが、丁度名画座にかかっていて、良い機会だからと思って観に行った。
ところが、初見では全く分からなかった。これのどこが名作なんだ?ちょっと特殊だけど、単純な反戦映画じゃないか。その程度の認識だった。 それが不思議な話なのだが、映画を観たその当日の夜。風呂に入っていて、不意に頭の中に「ママン~」の声が聞こえてきた。なんだ、これは?何でこれを思い出すんだ?
ちょうど不眠に悩まされている折でもあり、寝ころびながら、つらつらとこのことを考えてみた。どうも訳の分からぬ、もやもやとしたものが心に残るのは気分が悪い。
それで、更に時間が経過して不意に思いついた。
ポーレットにとって、「家」とは一体何であったのか。彼女にとって、自分の帰るべきところは、自分を初めて受け入れてくれたミシェルのところにこそあった。戦火の中、血のつながりもなく、どんなに大人の嫌な部分を見せ付けられても尚、彼女にとって「見つかった」と思った帰るところが、そこしか無かったからなんだ。何と悲しい。そして、何と大切なことをここでは示していたのか。
ポーレットは劇中殆ど泣くことが無く、大声を上げることもなかった。彼女の回りには「死」があまりにも多くありすぎたのだ。そんな中で彼女はただ、死を通してのみ人やものとコミュニケーションを取っていた。死者を葬ることを、「遊び」としてしまう。それは彼女生者とコンタクトが出来る唯一の手段だった。大人の愛憎は彼女にとっては全くの無意味であり、ただ子供の世界の中で、彼女が出来る唯一の手段として出来る唯一のこと。死者を悼み、死者の視点から醒めた目で全てを見るだけ。
その彼女が劇中で唯一、そして多分、一生で初めて「生きたい」と狂わしいまでに思った瞬間が、あの時ではなかったのか。幼い彼女の声が、耳にこびりつく。そしてそこに重なる、イエペスが奏でるあの切ないギターの音。それが観た時ではなく、後になってじわじわとやってきた。
これ程「死」に近い、そして生きる。と言うことの意味を直接的にぶつけられた、そして真剣に考えさせられた作品は滅多にないぞ。
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