[コメント] ライムライト(1952/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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チャップリンという人は、実は「粋」の人ではないと思っている。
それを端的に表しているのが『独裁者』のラストにおける大演説で、あれは率直に言って「芸」ではない。ここCinemaScapeでも何人ものコメンテーター諸氏が指摘されているように、あれほど無粋なものはない。それは芸人として生きてきたチャップリンこそが一番よくわかっていたはずで、しかし彼は、そうせざるを得なかった。自分自身が作り上げてきた、言わば「映画芸」を壊してでもチャップリンには「声を大にして」言いたいことが、言わねばならぬことが、あった。それをするのは芸人ではない、作家である。もちろん彼が生粋の、そして一流の芸人であることに間違いはないのだが、彼はあるとき芸人という枠を超えて、作家になってしまった。
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「芸」の真髄は「粋」だと思っている。夜空にパッと咲いて散る花火のように、意味などなく、形に残らないからこそ、美しいのだと思っている。だからこの映画が描く「落ちぶれた芸人の最期」というテーマほど、「芸人」というもののあり方と相容れないものはない。
しかし、芸人だって人間なのである。舞台の上には笑顔だけを残して舞台を下りる「芸人」という名のひとりの人間がそこにいるのだ。いつもの芸を披露して、満面の笑みで客席を見ると誰もいない…そんな悪夢にうなされ、酒の力を借りずには舞台に上がれず、だんだんとお座敷がかかることも少なくなっていく、そんな苦しみを、吐露したくなることだってあるだろう。そんな苦しみを、誰かが知っていたっていいではないか。
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『ライムライト』という映画は、全ての芸人たちへの鎮魂歌なのだと私は思っている。芸人という枠をはみ出してしまった「作家」チャールズ・チャップリンは、芸人が決して歌わない歌を歌った。全ての芸人たちへ、そして、「芸人」チャーリー・チャップリンへ向けて。その歌は無粋だが温かく、そして誇りに満ちた歌だ。通りの上ならどこでも舞台ですと胸を張り、大舞台で発した最期のひとことが大爆笑を呼ぶのだ。芸人カルヴェロの打ち上げた花火ほど、でっかくて胸のすく花火はないではないか。
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