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[コメント] PLANET OF THE APES/猿の惑星(2001/米)

駄作という意見には賛同できても、バートンらしくないという意見には心が痛み、敢えて擁護
kiona

 このリメイクは失敗だった。というより、バートンが『猿の惑星』をリメイクすること自体がそもそもの間違いだ。伝統的で保守的な映画評論家達のともすれば盲目的な人間中心主義的価値観を前にしても、カルトとして虐げられてきた怪物達を前景化し続けてきたティム・バートンが、カルトではなく、名作と認知されている『猿の惑星』をリメイクする必然は皆無だった。彼が威を発揮するのは、未完成のまま後景化してしまった怪物達であり、完成された怪物ではない。

 完成されたSFにリメイクの必要なし。変化するのは表層だけ。

 こんな基本を認識できないティム・バートンではなかっただろう。思うに、彼は負け戦を承知で取り掛かったのであり、連呼し続けた“リイマジネーション”との言葉はまさに開戦前夜の敗北宣言だったのかもしれない。

 ティム・バートンは敗戦覚悟で何をやりたかったのか? この映画は前半が全てであるように思う。この前半部分を定義するとしたら、何となるだろう? 自分は、“猿版シェイクスピア”、“猿版エリザベス朝演劇”だと思った。

 発展途上にあった旧作のSFXは“映画的表現”の限りにあって、「猿ではなく、人類の暗喩たる猿人」を完璧に演出してみせた。現在のVFXが何をしようと焼き回しにしかならないほどに。ならば、それは敢えて目指さず、最新の特殊メイクアップと一級のシェイクスピア経験者達を使い、“演劇的表現”で「あくまで猿が進化した猿人のリアリズム」を演出してやろう。バートンの狙いはそこにあったような気がする。(補足:証拠となるかどうかは微妙ですが、シェイクスピアの戯曲の中に『ぺリクリーズ』という悲劇でも喜劇でもないロマンス劇と呼ばれている作品があり、内容は主人公ぺリクリーズの波乱万丈な人生を描いた冒険譚となっています。あのチンパンジーの名がそこから付けられたのかは不明ですが、そうだとしたら象徴的に思えます。)

 後半のドタバタは芝居が猿芝居に収束した結果に他ならないし、ラストに至ってははこんなまじめくさった話をしたくなくなるほどだが、前半の演劇までを否定してしまうのは惜しい。演劇を捨てた人類、いわば映画的未来人が猿の演じる演劇に出会うこの逆説(マーク・ウォルバーグティム・ロスの配役に関する発想の逆転は、顔以上に、典型的映画俳優を人間代表とし、実力派のシェイクスピア経験者を猿人に持ってきたところにあると思います。)は、文明の発達とともに文化を歴史に葬り続けた人類の未来が、自らが葬ったはずの過去を継承している猿たちに出会うという旧作のテーマの継承である以上に、人間と怪物の逆転により両者の境界を壊し、怪物は人間の影であるという信念を映像化し続けたティム・バートン個人の作家性そのものであったように思う。

 あらゆるメディアにおいて、怪物の登場は人間表現の敵と見なされ下手物扱いされてきたわけだが、最近のハリウッドで表立ってそれを覆してみせたのは、ティム・バートンだけだったはずだ。そんな彼の信念が見受けられればこそ、『フィフス・エレメント』や『A.I.』や『ファントム・メナス』と一緒にしたくはない。

(評価:★3)

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