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[コメント] ゴーストワールド(2000/米)

四本立て。(レビューはラストに言及、とともにかなりの長文×4)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







★ブシェ〜ミ、宙をさまよう★

スティーブ・ブシェーミが好きだ。セコイ小悪党や冴えないオヤジを演じ、たいては悲惨な末路をたどる。そんな役どころなのに、必要以上に目がクリンとしていてまるで不釣合いな感じでキラキラ輝いている。『レザボア・ドッグス』以来、忘れられない顔。そんな彼が今回は主役級。なんと、若い女性に興味をもたれるというとんでもない設定。なんでこんな美味しい作品を劇場で見逃していたのか、激しく後悔する。

ブシェーミ、唐突に登場したと思ったら、そうそうに相手の車にキレる。だが、家に辿りついたら、すでに元に戻っている。世の中のいろいろなことが許せないと感じ、しょっちゅうイライラしているところは、主人公に似ている。だが彼が主人公と異なるのは、世の中と折り合いをつけていくことに慣れていること。イライラしてもすぐに、まあしょうがないか、と諦められること。主人公以上に妙にリアルに感じるキャラクター。彼の役どころにしては珍しく常識人だが、彼の存在感から醸し出される世の中への居心地の悪さ感は、ここでもいかんなく発揮されていた。クリンとした眼は宙をさまよう。適役であった。

★差異化のためのメガネ、やがて追われる★

主人公のイーニドが着用している黒ぶちメガネ。知性を感じさせたり、相手から距離を置きたいときにうってつけの90年代のアイテム。リサ・ローブ(そういえば彼女のバンドの名前は「ナイン・ストーリーズ」)とか、ウィーザーから派生したメンバーが全員黒ぶちメガネのザ・レンタルズ(今はどうか知らない)などはそれらの象徴だった(もっと好例があるかもしれないが…)。

それ以上に本作を観て思い浮かべるのは、ブラインド・メロンのヒット曲゛No Rain"のビデオ・クリップ。このクリップでは、イーニドよりもずっと幼いが、小太りで黒ぶちメガネをかけているところはイーニドそっくりの少女が出てくる。ハチの着ぐるみを身につけた少女は、へたくそなタップを披露したところ、観衆に罵声を浴びせ掛けられ、その場を追われる。どこに行っても居場所のない彼女は、泣きながら街をさまよう。さまよいきったすえ、街の外れの野原に彼女と同じハチの着ぐるみをつけた集団が踊っていて、少女はその輪の中に加わり、安楽の地を得る。この設定自体にもだが、それ以上にこの曲とこのクリップを思い出して憂鬱になるのは、そのバンドのボーカルが、28歳にして夭折してしまったという事実(ドラッグによるオーバードーズ)。『ゴースト・ワールド』の後半の寂しさとイメージが重なっていく。

★バス、薄暗い空を進む★(注意、『ピアニスト』のネタバレ要素あり)

皮肉満載の本作。来ないバスを待ち続けている老人の前に、バスが停まったとき、「おいおい、ようやく来たと思ったら、三途の川行きかよ。」と笑っていたら、その後なんと主人公の前にも似たバスが停まり、彼女を連れていってしまう。なので、考える前に彼女が乗ったのは「三途の川」行きバスだと思っていた。他の方のレビューを読んで、確かに自分の心情を映す鏡と考えるなら、私自身の今の心情がうらぶれているのかなと思ってしまう。

とはいえ、このみなまで言わない終わらせ方は非常に映画ならではの表現であり、同様に混沌のなか唐突な終わらせ方をした(時系列的には逆なのだが)『ピアニスト』などを思い出す。いずれにせよ、「三途の川」行きとは限らないのだろう。ただ、これも他の方が述べられていたが、彼女はベンチで待っていたら、バスが停まって、ふらふらとそれに乗っただけであり、自分から能動的に動こうという意志は感じられなかった。それよりも、バスが向かった上り坂の向こうには、まだ夜明け前の薄暗い空が広がっていた。ざらざらした薄暗い空が、彼女の今置かれている位置を体現しているように思え、言い知れぬ不安を感じた。それは中途半端なプライドの高さゆえに、いまだ社会人になろうとしない私自身が抱えている不安なのかもしれない、ってまあそれはどっちでもいいが。

★夜明け前(まだ?もう?)★

本作は、オープニングのダンスシーンと各家庭を横に流れていくカメラワークとを観ただけで、お、一味違うな、と期待を高まらせた。つぎつぎと繰り出される皮肉は、サリンジャーの小説を読むよりも同時代性を帯びている(80年代風のニセ50年代風ダイナーとか、コンビニの名前が"sidewinder"だったりとか)ゆえに、そうそう、とうなずき自分の中に染みてくる。といっても、話自体のテンポはそれほどいいわけではない。だらだらと続く妙なテンポと、それとは相反するような軽快な音楽が、一風変わった相乗効果をあげていたのだと思う。『アメリカン・ビューティー』同様、映画のテーゼ以上に、入っていきやすい空気の演出に成功していたがゆえにシネスケでもおおむね高評価なのだろう。

卒業式の陳腐な答辞、無理解なのに理解のあるふりをする父親とその愛人、陳腐なものに浮かれる同級生たち、頭のいかれた美術講師(なのに社会からのクレームには滅法弱い)、Lサイズをすすめるマニュアル。本作が映し出す違和感は、「社会」への、「世の中」への違和感であり、「世界」への違和感でない点で、もう少し言うなら、「世界」への違和感に発展しない、という意味で弱い。また、彼女の悩みなどは「自閉」という二文字で切り捨てられるものなのかもしれない。しかし、イーニドがほんのたまに見せた笑顔や、いたずらをするときの楽しげな表情はとてもキュートで、私には自閉と簡単に切り捨てることができなかった。

いろいろなことが許せないと思う人ほど、生きられない、と苦しむことが多くなる。後半、彼女から笑顔が消える。何か大切なものが失われていくような、どうすることもできない気持ち、寂しさが広がる。そんなところでくよくよ感じてしまう本作を観た私自身の心情が、自閉しているのかもしれない。ただ社会に完全に適応することも、世の中に認められたいという価値を求めることを止め、価値を疑いながら独りで生きていくことも、どちらも到底できない。中途半端なところをさまよっていく運命なのだろう。イーニドの乗ったバス、夜が完全に明けたとき、彼女の眼前には何が見えてくるのだろうか。「三途の川」でないほうがいいな、と願うのも一つのヒューマニズムなのかと思う。珍しく感傷的な文章になってしまった。少し反省。(といっても、いつだってこんな独善的、感情的でまとまりのない文章しか書けないのだが。)

(評価:★4)

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