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[コメント] となりのトトロ(1988/日)

和風な国のアリス。子ども目線の陰影礼賛。五感で味わう世界。魅惑としての異界、喪失の不安としての死という、二つの彼岸。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







威勢のいい歌声の響く陽気なオープニング・シーンで見逃してはならないのは、画面下部を装飾する絵が、蜘蛛、コウモリ、蛙、ムカデ、と、忌み嫌われることの多い生き物で占められていること。画面上部には蜘蛛の巣だ。本編でも、ゴミの散らかった、暗い軒下や(しかも他人んち)、引越し先の家の、暗い二階へ伸びる階段、バス停のシーンでメイ(坂本千夏)が覗いて脅えるお稲荷さんなど、暗くて薄気味悪い空間が幾度も現れる。そうした空間そのものをキャラクター化したような"まっくろくろすけ"も、可愛らしくデザインされてはいるが、群がって光から逃れるその動きは、虫の群れが蠢く様のようでもある。

トトロ(高木均)にしても、改めて観てみると、意外なほどオッサンなキャラクター。大トトロの大きな口もまた、彼の隠れ家へ続くトンネルのような異空間とも思える。その口に生え揃った大きな歯。その口から発せられる、空気が震えるほどの大きな声。長く伸びた鋭い爪。太く長いヒゲ。ただのフワフワしたヌイグルミ的なキャラではなく、生き物としての感触が備わった存在として描かれている。そしてトトロ自身、サツキ(日高のり子)が貸してくれた傘に当たる水滴の音に全身を震わせるような敏感さで世界と接している。

他にも、バス停のシーンに描かれている蛙や、迷子になりかけたメイの抱えるトウモロコシを狙うヤギなどからは、生き物の得体の知れなさをきちんと描こうとしている意図が見てとれる。また、ヤギのシーンでメイがいる場所が、いかにも「見慣れない場所」として描かれている辺りが見事で、観ているこちらも不安になってくる。このシークェンスでサツキが電話を借りに来る場所そのものが、いつもの生活空間とは異質な場所として描かれている印象だ。

気丈で元気なサツキが母(島本須美)の喪失に脅え始めるこのシークェンスまでは、不安をもたらすようなものも、むしろ楽しみの要素だった。家財一式を詰め込んだ三輪自動車(四輪と違って不安定感があるのがまたいい)で行くシーンでサツキは、警官と思しき人物から身を隠すが、何か悪いことをしているわけではなく、単にスリルを楽しんでいる様子だ。引越し先の家がボロいことにも妙に昂奮し、柱が腐っていることに狂喜して、踊って走りながらインディアン風にアワアワしてみたり。親子三人で風呂に入っているシーンでも、嵐のせいで家が軋んでいることを心配していたが、父(糸井重里)の機転でそれさえ楽しんでしまう。

だが、病院からの電報によって母の死の可能性が(サツキとメイにとって)現実味を帯び始めた辺りから、作品のトーンが変わっていく。サツキは、母に加えてメイの行方不明という事態に直面し、二重の喪失に脅えることになる。それまでは、暗がりの空間は異界への入り口として魅力的でもあったのだが、「もうすぐ日が暮れる」という形で闇が迫ることが、初めて真剣に恐ろしいものと化す。丘に登って辺りを見回したり、真っ直ぐ懸命に走るサツキ。包み込むものが何も無い空間の広がりに於いて闇が迫ることの恐怖。だからこそ、その空間の広がりを一気に駆け抜けるネコバス(龍田直樹)の魔物的なスピード感が、却って安堵をもたらしてくれる。また、ネコバスの車内の空間そのものも、フカフカした中に包み込むという形で安らぎを与える。

ネコバスの窓外の、猛スピードで遠ざかる風景の中に小さく見える婆ちゃん(北林谷栄)の姿。ネコバスが傍らを走り抜けても風としか感じない大人たちの姿を見て、「みんなには見えないんだわ」と呟くサツキ。サツキはこのシーンで突如、ついさっきまで共に必死にメイを捜索していた人々と、全く切り離された存在となる。ネコバスの行き先表示に「メイ」や「七國山病院」といった、サツキの想いを汲んだ名が表れる場面は実に感動的。ネコバスの表情が、妖しい顔つきのまま変わらないところがいい。異界の存在がその異様さのまま、サツキの想いと一致する。

サツキとメイが病院に着くと、母は本当にただの風邪で、サツキが心配したような深刻な事態にはなっていないようだ。そうして母が死=彼岸から生=此岸へと戻ってくるこのシーンで、入れ替わりのようにサツキとメイは彼岸=異界の方に渡っている。ゴトッという物音に気づいた両親は、メイが大事に抱えていたトウモロコシを見つけるのだが、この描写は、姿を見せないトトロが落としたと思しきドングリが、コトンと家の中に落ちてくるシーンを連想させる。サツキとメイは、トトロたちと同じ世界の住人になったわけだ。そうして、二人がネコバスの座席に座って笑いながら帰路につくカットからエンディングの歌が流れ、以降の、婆ちゃんらと再会するシーンは、エピローグとして簡略化された描写となる。例の都市伝説、「サツキとメイは既に死んでおり、トトロは死神」という噂話が生じたのも、このラストの雰囲気からすれば、幾らか無理からぬところはある。(ジブリは公式ブログでこの噂を否定している⇒http://www.ghibli.jp/15diary/003717.html)

母の入院する病院からの電報がもたらす不安や、そのシーンで既に、母への心配で頭がいっぱいになったサツキがメイと逸れかねない状況が描かれていること、メイの靴と思しきものが川で見つかるシーンなど、死や喪失のイメージは終盤のサツキを脅かすものとしてつきまとう。そんな彼女が、彼岸の存在トトロの助けで大団円を迎える結末は、暗く怪しい空間への冒険心、という子供らしさで出遭った異界を通して、死というもう一つの彼岸にただ脅える気持ちから一歩成長するという、なかなか絶妙な成長物語を描いているのだ――ということに、今回再見して気がついた。

思えば、あまりに優しく美しすぎる自然や人々など、失われた、或いは初めからそんなものは存在しなかったのではないかとさえ感じさせるこの世界観は、それ故に、多くの人のノスタルジーを誘うのかも知れない。ノスタルジーは、喪失感と表裏を成す感情なのだろう。

それにしても、ネコバスの車内はいかにも座り心地がよさそうで、『アルプスの少女ハイジ』の干草を連想させられたりもした。「猫に包み込まれる」とは、相当な猫好きでさえ想像もしていなかった幸福だろう。またネコバスの顔は、ジョン・テニエルによる『不思議の国のアリス』の挿画に描かれた"チェシャ猫"を連想させる。ネコバスも映画の最後の方ではチェシャ猫のように樹の上に座っているし、去り際も、チェシャ猫同様、スーッと消えていく。メイが小さなトトロを追っていくうちに穴に落ちて大トトロと出逢う展開や、それを姉に報告するところなども、アリスに倣ったように見える。

(評価:★4)

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