[コメント] 光の雨(2001/日)
二重構造にしたのは客観性を持たせるためというよりあまりに遠すぎる「連合赤軍」の時間と現在とを若者たちを挟んで少しでも埋めるためと理解した。それくらい、私には自分と断絶しているように感じられた彼らの「総括」マニアぶり、ただ→
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ある閉塞した状況で、日常からは想像も出来ないようなリンチへと人間が駆り立てられていくということは、1972年の彼らでなくてもあり得るのだということを、オウムの事件を見た私たちは知っている。だから、この映画が語ろうとするものは、単に「連合赤軍」という個別の物語以上のものがあるはずに思えた。
そう思うからこそ、「話を聴いてくれてありがとう」と結ぶ立松和平のナレーションには疑問を感じる。やはり「俺たちの世代にしか分からないこの物語を現代の若者に語って聞かせたい」というようなセンチメンタリズムが根源にあるのかと邪推したくなるからだ。「語らない」同世代に苛立ちを覚えているような台詞も劇中にあったではないか。その部分に関しては私は理解できたのだが……。 「連合赤軍」の物語は、個別の物語でありながら普遍へと突き抜けていくべきではないのか。後代の人間がそこから何かを学ぶ必要はないのだろうか。見終わった後、非常に気が重くなった。単に昔語りを聴いただけでこんなに気が重くなるわけはない。だからこそ評価する。だからこそ上述したナレーションの言葉に違和感を覚えたのだ。
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