[コメント] 愛しのローズマリー(2001/独=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
最初の変身前の彼は、機知に乏しいユーモアにはほど遠い独りよがりのバカの戯言だけが取り柄だったので、ユーモアなど無かった。
「ユーモア」の語源はラテン語の「humor」(フーモル )と言い、「湿り気」や「体液」を指すらしい。ユーモアが無くなりかけると、心は乾きひび割れ荒んで心に本来あるはずの素晴らしい機能が停止するので、全てに於いて表層しか撫でることが出来なくなる。大事なのは絶えず前向きにユーモアを出し尽くすこと。
ラストに居た彼は最初の彼とは違ってユーモアを持っていた。
*
禿げていれば、髪を洗うのが楽になるしシャンプー&リンス代がいらなくなって、かえって環境に優しいし財布に良かったと思える気持ち。ブサイクだったら、個性的な世界で一つだけの超プレミアムなオンリーワンの顔だと思える気持ち。恋人が出来ないままに学生時代が終わろうとしているなら、「人を見る目が無い人間ばっかりだったな、ケッ」と思いこみ、ストイックに次のステージで通用するよう自分を磨きまくってやると思う気持ち。お金が無いなら、ぶらりと近所や川原を散歩して永遠に訪れる明日への鋭気を養えればいいという清々しい気持ち。
そんな風に前向きに発想をしていけばうまくゆくことが、この作品を見ても凄くよく分かる。特に、手だけでスキーをしている映像をバックにスタッフロールが流れるところに、顕著に出ているし励まされる。
例外なく誰でも産まれながらにして障害を持ち、障害とうまく付き合っていかないとやってられない現実世界。それを地にして卑屈にならないで背筋をピンとして歩けるように、神が与えたのが前向き志向とソレから自然製造されるユーモアだと思う。また、そのユーモアは短所を最大の長所にしてしまえるからユーモアは無敵だ。そして、ボビー・ファレリーとピーター・ファレリー、兄弟でそれを共有し分かち合っているとは素晴らしい兄弟だ。ホント、勝新や菅原、高倉のアニキの次くらいに兄弟杯を交わしたい兄弟だといっていい。(ファレリー兄弟、製作だけの)『ギリーは首ったけ』『メリーに首ったけ』といい、ぶっちゃけミラクル兄弟ですよ。
なんたって、あの外見しか眼に入らない人間が、病院にいるありのままの“あの子”を裸眼でしっかりと受け止めたシーン。ぼろ泣きしました。あのまま催眠術をかけられて生きていたら、彼の本質は「外見で判断する」が残ったままであって、彼は全く依然として駄目な最低な男だったところを、物語的にも面白く、そして何よりも、人間として正しい選択を結果的に生じた催眠術を解くシーンがこの作品の偉大な部分だった。
何事も楽して得られるものはなく、ユーモアと、涙無くしてこの世は語り尽くせない。最後に、必ずしも「今の苦労」は努力して抜けられるもんでもないから笑い飛ばして、下向いてないで前を向こうという気が充電できて幸せに幸せが覆い被さりました。
2003/5/29
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (6 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。