[コメント] めぐりあう時間たち(2002/米)
ライトモティーフは「ダロウェイ夫人」。時折韻を踏むかのように短いフレーズを重ね合わせながら、三人の奏者の間で主旋律と通奏低音がめまぐるしく入れ替わる。その緊密な脚本は、いまにも音楽を奏ではじめるかのようだ。
生きるということは
絶え間なく音楽を奏でるようなものなのかもしれない
例えそれが苦渋に満ちた旋律であろうと
精神を蝕むような狂気に満ちた音色であろうと
そして人と人とが思うように音を重ね合わせることができずに
不協和音となって楽の音が生まれようとも
ときにぬかるみに嵌り深い闇の底に囚われ
その闇の耐え難い静寂を前にして
人は藁をもすがる思いで救いを求める
耳を劈くばかりの音が生まれる
そして時と共に楽の音が黄昏の色を帯びつつも
かつての甘美な音色をため息と共に振り返りながらも
それでも生きる限り楽の音が絶えることはない
死を前にしてはじめて本当の沈黙を知る
しかし死と共に失われたはずの音楽は
ときに巡り巡ってはるか遠くの時の中でかすかにこだまする
そっと耳を傾けて重ね合わせてみる
音楽は受け継がれる
いつかは沈黙に帰す人々の
それは悠久の時の流れの中で繰り返される
ささやかながらもいとおしき営み
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子供の扱いがややあざといのが残念。絶えず流れるフィリップ・グラスの音楽は、最初はややうるさく感じたけど、絶えずこちらの耳にさざなみを送り続けているようで、これはこれで良いかという気もする。意識の流れ、時の流れ、映像(編集・構成)の流れ、音楽の流れ。絶え間ない流れのなかで、繰り返される光の乱反射。永遠の中の一日。
(2003/5/22)
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