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[コメント] パリ、テキサス(1984/独=仏)

あんなふうにも、こんなふうにも、生きられない。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







久しぶりにあった息子は大きく成長していた。そして思っていた以上に「大人」だった。トラヴィスは一度父になろうとした。それは逃げだした役割に戻らなければならないという気持ちのあらわれだったが、息子の成長を見て、もう一歩進もうという気になった。それが自分らしさを取り戻すということだったように思う。妻に自分のその時の思いを語り、ジェーンもその時のことを思い出して自分の思いを語った。鏡越しに愛を語り合った男と女。それは、いまだに「自己愛」のようだった。ふたりは互いの自己愛の言葉を投げ交わすことしかできなかったように思う。息子に会って、ジェーンもまた、息子に「受け入れてもらった」ように見える(ナスターシャのこの時の丸まった背中。跪いて息子に頭を垂れているように見えるところがうまい)。父になろうとしたトラヴィスは一個の男になってしまった。ジェーンはこの先、母になっていくのだろうか? 

役割から逃げ出した男は、同時に自分自身であり続けることも否定し、砂漠をさまよいながら自分を消していったのだろう。女も、いつも(鏡の)自分の顔と向かい合いながら、誰ともわからない男の話を時に聞いたり、あるいは聞かずに自分の幻想を勝手にだぶらせてみたりしながら自分というものをまやかしの中に置こうとしていたのだろう。

とことん利己的にも、かといって利他的にも、生きたくない、と思う。でもそれでは生きられないのだ。もどかしい結末だったが、とりあえず男と女は、生きるためのスタート地点に立ち戻った、ということなのだろう。

いくつもの心ひかれる絵の多い作品だが、私が一番好きなのは、銀行の駐車場の出口のところで見張りをしていたハンターが、強い陽射しのせいかついうたたねをしてしまうところである。彼が唯一大人の役割から解放されているように見え、とても愛しく思える。

(評価:★4)

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