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[コメント] シン・ゴジラ(2016/日)

登場人物は多かれど、悪化する事態に皆なすすべもない。描かれない細部は確かに複雑なものがあろう。しかし、描かれている状況自体はシンプルそのもの。いったん落着を見出すという劇映画の御定法一点を除けばこの映画、実に夢に、特に悪夢に構造が似ている。
ジェリー

そう、この映画は日本国民の最大公約数の悪夢と深層心理にわだかまる深い傷を描いた映画なのだ。その意味で本作は1954年版の直系嫡流映画である。

ゴジラが触媒となって、中越地震の、東日本大震災の、熊本地震の、あるいは人によっては東京大空襲やヒロシマ・ナガサキや沖縄決戦の惨劇と悲しみと癒えないトラウマとを観る人たちに追体験させてくれる。「忘れるなよ、忘れるなよ」とゴジラが通奏低音を繰り出し続ける。

ゴジラは状況である。状況であるからには終わりもある。終わりがあるから忘却も始まる。この忘却の苦さを繰り返し味わうために我々はゴジラを必要とする。なんというかゴジラが、次第に日本国民の映画演劇史の中の造形の古典になりつつある予感がある。まるでそれは文楽や歌舞伎における大星由良助(大石内蔵助)のごとくである。

最後に私的な話をせずにはいられない。大田区鎌田からの怪獣上陸そして呑川の遡上にしても、多摩川を防衛線とした駆除作戦にしてもつい最近まで日ごろ暮らし歩いたこともある土地がどんどんと奇怪に変貌していくのを目の当たりにすると、落差感の激しさにめまいがした。「忘れてはならない」と決めていたはずなのに、日常の光景を当たり前と思いこんでいるゆえの落差感は、正直少し苦い。中越地震と、東日本大震災と、熊本地震の3つとも被災者として体験したという、日本国民の中でもおそらくまれな人間である私にしてからがこうである。人間の業なのかもしれない。

(評価:★4)

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